「式内社」熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ) HOME blog

鎮座地 〒647-1731和歌山県田辺市本宮町本宮1110 旧紀伊国 牟婁郡  
電話  0735-42-0009
旧社格等  官幣大社(現別表神社)
 式内社 紀伊國牟婁郡 熊野坐神社 名神大
御祭神 (主神)本殿
 第三殿 証誠殿 家都美御子大神(素盞鳴尊) 阿弥陀   
(相殿)結宮  
 第一殿 (西御前)熊野牟須美神 (伊弉冉尊)千手観音 ・事解男神
 第二殿 (中御前)御子速玉之神(伊弉諾尊)薬師如来
 第四殿 (若 宮) 天照大神       十一面観音
   (以上、三棟四殿を上四社と称す。)

 第五殿 (禪兒宮)忍穂耳尊      地蔵菩薩
 第六殿 (聖 宮)瓊々杵尊      龍樹菩薩
 第七殿 (兒 宮)彦火火出見尊      如意輪観音
 第八殿 (子守宮)鸕鷀葺不合尊      聖観音
    (以上第五殿より第八殿までを一棟に納め、中四社と称す。)

 第九殿 (一万宮)軻遇突智命      文殊菩薩
 第十殿 (十万宮)埴山姫命      普賢菩薩
 第十一殿(勧請十五所宮)彌都波能賣命  釈迦如来
 第十二殿(飛行宮)稚産靈命      不動明王
     (以上 第九より第一二殿までを一棟に納め、下四社と称す。)
    以上の上・中・下の各四社を総称して熊野十二社権現という。
  なお、中・下の各四社は明治二二年(一八八九)の洪水で 旧形を失い、現在、旧社地の大斎原に石祠としてのこされている。
(神社辞典・東京堂出版より)
御由緒  
 東御前(若 宮)天照皇大神
 御本社(證証殿)家都美御子大神(素盞嗚尊の別名)
 西御前(速玉宮)御子速玉大神
      (結 宮)熊野牟須美大神
 
 当宮は熊野三山(本宮・新宮・那智)の首位を占め、 全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として、 広く世に知られています。
御主神は家都美御子大神、即ち、素盞嗚尊と申し、 樹木を支配される神であり、紀国(木ノ国)の語源もここから起っております。
 大神は植林を御奨励になり、造船の技術を教えられて外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を 造営して、鎮祭したと伝えられています。
 奈良朝のころから、修験の行者が頻繁にここに出入りして修行し、 ますます神威が広まりました。延喜七年(約千年前) 宇多法皇の御幸をはじめ、約三百年にわたり法皇・上皇・女院の 御幸は実に百数十回に及びました。
 これが史上有名な熊野御幸であります。これと前後して、当時の神仏習合によって御主神を阿弥陀如来といって尊び、日本一といわれた霊験を仰ごうとする参詣者は、全国各地から熊野の深山幽谷を埋め「蟻の熊野詣」とか「伊勢に七度熊野に三度どちらが欠けても片参り」などとうたわれるとともに、全国に御分社を祭り、その数は現在約五千数社を数えています。
 その後、源平の争乱、承久の変、南北朝の戦乱と、さまざまの変災の渦中にありながら、人心の信仰はますます高まり、当宮の神威は 熊野牛王(おからす様)の神符とともに全国に伝播して明治時代にいたりました。
 現在の社殿は、享和二年徳川家斉将軍の命によって紀州侯治宝卿が音無里(現本宮町大斉の原指定文化財)に建立されましたが、 明治二十二年の大出水にあって現社地に修造して遷座されたものであります。この社殿のつくり方を「熊野造」と申し上げます。
 なお旧社地は別社地と呼び、石祠二殿を仮宮として西方に中四社・下四社を東方に元境内摂末社を合祠してあります。
  開寅神事     一月一日
  八咫烏神事    一月七日
  木苗祭      四月第一日曜日
春例大祭
  湯登神事     四月十三日
  宮渡神事     四月十三日
  船玉祭      四月十四日
  本殿祭(神輿渡御) 四月十五日
  御竃木祭     十二月十日
     (神門前案内板)   

  旧社地 「大斎原おおゆのはら」
 太古より熊野牟婁郡音無里(本宮町本宮)ここ 大斎原に鎮まり、第十代崇神天皇の御代に至り、 社殿が創建されたとあります。史上有名な中世に 於ける「熊野御幸」は当聖地で宇多上皇より亀山上皇に至る迄、歴代上皇、法皇、女院の行幸啓は 百数十度に及び、奈良朝の頃より本地垂跡説が行なわれ、仏教をとり入れ、御祭神に仏徳を仰ぎ奉り「熊野三所権現、又熊野十二社権現」と証われて隆盛を極め、その後も公卿、武門、一般庶民に至るまで朝野の参詣絶ゆることなく繁栄を続け、 時宗の開祖、一遍上人もここ証誠殿にて熊野神勅を授かり成道したと伝えられています。時宗歴代の上人(今日まで七十三代)は、宗門を継ぐ際は必ず当大社に参拝奉告、時宗護法の神と崇めて今日に及んでいます。
 不幸にして明治二十二年の大水害にて八神殿は 倒壊、石祠にお祀り申し上げ、主神の四神殿を、ここより上流七〇〇米の高台にお遷し申し上げ、今日に至っております。右の通り又と得がたい聖地ですから左記厳守され後世に伝え度く存じます。

一、火気厳禁のこと。
一、使用の際は神社の許可を得ること。
一、使用後は後始末を確実にして、その旨報告せられたい。
一、みだりに各所を撮影し他に利用しないこと。
      (現地案内板)

 注:本社神門内、および旧社地大斎原境内の写真撮影は許可をいただくこと。

 お断り:現在の社殿、神門、瑞垣等は平成22~26年度にかけて屋根の屋根葺き替えを中心とした保存修理工事が実施されています。当HPに掲載の写真は、平成21年(2,009年)4月4日の撮影ですので、現在のものとは異なります。
参拝月日  04/04/2009

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参道入り口の鳥居 社殿全景