御由緒 |
貴船神社 中宮
結社(ゆいのやしろ)
御祭神 磐長姫命(いわながひめのみこと)
神武天皇(初代の天皇)の曽祖父にあたられる瓊々杵命が、木花咲耶姫命を娶らんとする時、父の大山祇命が姉の磐長姫命も 共におすすめしたが、瓊々杵命は木花咲耶姫命だけを望まれたため、磐長姫命は大いに恥じ、「吾こ丶に留まりて人々に良縁を授けよう」といわれ、御鎮座したと伝えられています。古くより縁結びの神、「恋を祈る神」としての信仰が篤く、平安時
代の女流歌人・和泉式部が切ない心情を歌に託して祈願したという話は有名です。(和泉式部の歌碑がこの上の境内に建っています)昔はススキ等の細長い草を、今は「結び文」を神前に結びつけて祈願する習わしがあります。男女間の縁だけでなく、人と人、会社と会社、就職、進学などあらゆる縁を結んで下さる神様です。
(社前案内板より)
和泉式部歌碑
貴船神社は、古来、恋を祈る社でもありました。
平安時代の有名な歌人・和泉式部は、夫との仲がうまくいかなくなって当社にお参りし、貴船川に飛ぶ蛍を見て、切ない心情
を歌に託して祈願しました。すると、社殿の中から慰めの返歌が聞こえてきて、ほどなく願いが叶えられ、夫婦仲がもとのよ
うに円満になったということです。「後拾遺和歌集」には次のように記されています。
男に忘れられて侍りけるころ貴布禰に参りてみたらし川に蛍の飛び侍りけるを見てよめる
ものおもへば沢の蛍もわが身より
あくがれいづる魂かとぞみる
(※あれこれと思い悩んでここまで来ますと、蛍が貴船川一面に飛んでいます。そのはかない光は、まるで自分の魂が体から
ぬけ出て飛んでいるようでございます。)
御返し
おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の
玉ちるばかりものな思ひそ
(※しぶきをああげて飛び散る奥山の滝の水玉のように(魂がぬけ出て飛び散り消えてゆく=死ぬかと思うほど)そんなに深
く考えなさるなよ。)
この歌は貴布禰の明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞こえけるとなむいひ伝えたる。)
(現地案内板より)
貴布総本宮貴船神社略記
御鎮座
鴨川の上流、貴船鞍馬の山峡幽邃の地に鎮ります。神代の昔貴船山に御降臨、御社殿創建の年代不祥ながら、社記に凡そ1500年前とあり、第四十代天武天皇の白鳳6年(凡そ1300余年前)御社殿造替えが行われている。日本後記に、藤原伊勢人が東寺造営の任に当った時、霊夢に貴船大明神あらわれて、鞍馬寺建立の御託宣ありと記されている。第七十代後冷泉天皇永承元年七月水害、天喜三年四月(凡1000年前)現在地に奉遷し、元の処は奥宮として奉斎す。
御社格
第五十二代嵯峨天皇弘仁9年大社に宣せられる。延喜の制には名神大社に列し、四度の官幣に預り、二十二社(皇室が特別大切にされた神社)に列す。祈雨八十五座の一として、奉幣には別に祈雨に黒馬、祈晴に白馬を添えられた。
御神階
弘仁9年従五位下に叙せられ、霊験著しく漸次進めて、崇徳天皇保延6年には正一位に昇叙せられる。
貴船信仰
水の霊威は実に広大にして、計り知れない。万物水霊を蒙らぬはない。平安朝時代からの朝野の尊崇極めて厚く、日照り、長雨、国家有事の際には必ず勅使(天皇のお使い)を派遣せられ祈念が捧げられた。尊貴の崇敬は全国一般にも及び、殊に治水関係者、農家、醸造家、染織家、航海者、料理飲食業、製菓業、浴場業、その他水商売の人々は厚い畏敬の念を以て信仰を捧げている。当社より御分霊を戴いておまつりしている御分社は全国府県に御鎮座、約五百社を数える。
(平成祭データ) |