「式内社」日御碕神社(ひのみさき) HOME blog

鎮座地 〒699-0763 島根県出雲市大社町日御碕455 旧出雲国 神門郡  
電話  0853-54-5261
旧社格等  国幣小社(現別表神社
式内社 出雲國出雲郡 御碕神社
御祭神  ・天照大日孁貴
(配祀)正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 天穗日命 天津彦根命 熊野杼樟日命 活津彦根命
 ・神素盞嗚尊
(配祀)田心姫命 湍津姫命 市杵嶋姫命
御由緒   日御碕神社御由緒略記
御祭神
 日沉宮(下の官)天照大御神
 神の宮(上の官)神素盞鳴尊
御例祭 八月七日
御鎮座の由来・沿革
1)日沉宮
 日沉の宮は、神代以来現社地に程近い海岸(清江の浜)の経島(文島又日置島ともいう)に御鎮座になっていたが、村上天皇の天暦二年(約一千年前)に勅命によって現社地に御遷座致されたのである。経島に御鎮座の由来を尋ねるに、神代の昔素盞鳴尊の御子神天葺根命(又天冬衣命と申す)清江の浜に出ましし時、島上の百枝の松に瑞光輝き『吾はこれ日ノ神なり。此処に鎮りて天下の人民を恵まん、汝速に吾を祀れ。』と天照大御神の御神託あり。命即ち悦び畏みて直ちに島上に大御神を斎き祀り給うたと伝う。
 又『日の出る所伊勢国五十鈴川の川上に伊勢大神宮を鎮め祀り日の本の昼を守り、出雲国日御碕清江の浜に日沉宮を建て日御碕大神宮と称して日の本の夜を護らん』と天平七年乙亥の勅の一節に輝きわたる日の大神の御霊顕が仰がれる。かように日御碕は古来タ日を餞け鎮める霊域として中央より幸運恵の神として深く崇敬せられたのである。
 そして、安寧天皇十三年勅命による祭祀あり、又第九代開化天皇二年勅命により島上に神殿が造宮された(出雲国風土記に見える百枝しぎ社なり)が、村上天皇天暦二年前記の如く現社地に御遷座せられ、後「神の宮」と共に日御碕大神宮と称せられる。
(2)神の宮
 神の宮は神代以来現社地背後の『隠ケ丘』に鎮座せられていたが、安寧天皇十三年勅命により現社地に御遷座せられ(出雲国風土記に見える美佐伎社なり)後「日沉宮」と共に日御碕大神宮と称せられる。
 隠ケ丘御鎮座の由来は、神代の昔、素盞鳴尊出雲の国造りの事始めをされてより、根の国に渡り熊成の峯に登り給い、柏の葉をとりて占い『吾が神魂はこの柏葉の止る所に住まん』と仰せられてお投げになったところ、柏葉はひょうひょうと風に舞い遂に美佐伎なる隠ケ丘に止った。よって御子神天葺根命はこゝを素盞鳴尊の神魂の鎮ります処として斎き祀り給うたと伝う。当神社神紋の由来もここにある。
 かように日御碕は素盞鳴尊の神魂の鎮ります霊地として根の国の根源として中央より厚く遇せられ、神の宮は素盞鳴尊をお祀りする日本の総本宮として厄災除、開運の神と天下の崇敬をうけ今日も崇敬者の跡が絶えない。
御造営の沿革
 当神社は上世以来社殿の御造宮二十数回、皆勅命又は将軍の祈願に依ったもので、之にても日御碕神社の御神威の一端がうかゞわれるのである。現在の社殿は日沉宮、神の宮共に徳川三代将軍家光公の命により、幕府直轄工事として江戸より工匠を特派し着工以来十年の歳月をかけ、寛永二十一年竣工し、三百数十年の星霜を経ている。
 構造は、初期の権現造り建築の優秀なることは斯界に定評あり、殊に極彩色の御内陣の天井四壁の絵は狩野派、土佐派の画匠の筆になり、華麗荘重を競って美事である。社殿の全部と境内の石造建物を含めて国家重要文化財に指定されている。
古伝祭に仰ぐ神威
(1)神劔奉天神事 十二月三十一日
 素盞鳴尊、八岐の大蛇を退治て天の叢雲劒を得たまいし時、御子神天葺根命を御使いとして之を天照大御神に奉り給うた故事に由来するもので、天葺根命の子孫で日御碕神社祭祀家たる小野家に伝わる家伝祭である。斎主たる宮司は毎年十二月、大晦日の深夜唯一人神山(天一山)に登りて之を行う。
 この神事は古代より今日まで絶えたことなく、当夜は雨雪いかに甚しくとも神事の始まると共に空晴れ渡り、いまだ嘗て斎主の祭服を霑したことがないという。
(2)的射祭 二月節分
 孝霊天皇六十一年月支国の彦波瓊王多数の軍船を率いて襲来す。特に神の宮鳴動し虚空より自羽の征矢落つるが如く飛びゆき、見るほどに波風荒びて賊船覆没せりと云う。こゝに於て神威を畏み神恩報賽の祭りを執行して現在に至る。かように日御碕神社の御神徳は、天照大御神の日の神としての和魂と素盞鳴尊の奇魂の御霊威を仰ぎ奉りて、古来「邪つ心を払い給う神」「厄除けの神」「産びの神」として、又「家運繁栄、殖産興業、安産、交通安全の守り神」として広く大方の信仰が深いのである。
大祭及び主なる古伝祭
 神寄神事(新年の摂末社祭) 一月三日
 御饗神事(太上天皇より神田奉納の記念祭) 一月七日
 釿始祭(日沉宮造宮記念祭) 一月十一日
 和布刈神事(海ねこわかめを奉る祭) 旧一月五日
 的射祭(前記) 二月節分
 神幸祭(タ日の祭) 八月七日
 爪剥祭(八朔祭) 九月一日
 神在祭・神去出祭(八百万神の迎送祭) 旧十月十一日より十七日まで
 大祓行事(厄払いの行事) 十二月三十一日
 神劒奉天神事(前記) 十二月三十一日
主な摂末社
 林神社(摂社) 天葺根命(天冬衣命)
  境外、宇竜港附近の山上に鎮座す。天葺根命は天照大御神を経島に祀り、素盞鳴尊を隠ケ丘に祀り絡うた。即ち日御碕神社の祭主であって、命の子孫は世々その職を嗣ぎ(中世以降日御碕検校と称す)現小野宮司は実に九十七代の後 に当る。
 熊野神社(未社)伊弉冊尊
  境外、宇竜港の権現島(蓬来島)に鎮座す。毎年旧正月五日の和布刈神事は有名である。
宝 物
(国宝)源頼朝公寄進の白糸威甲冑威一領(鎌倉時代)
(重文)名和長年公寄進の藍韋威腹巻威一領(南北朝時代)
(重美)小野繁慶太刀一振(徳川初期)
(県文化財)出雲国風土記(日御碕本)
(同上)耕雲明魏日御碕神社造営勧進記(室町初期)
(同上)源義家公寄進の薫韋威喉輪=現在日本最古といわれる(平安朝中期)
(同上)塩谷高貞公寄進の縹糸威肩白四十八間筋兜(室町初期)
(同上)白糸威肩紅喉輪(室町末期)
(同上)野田善四郎寄進種ケ島銃 一挺(日本現有三個の一)
 その他甲冑刀類多数あり、又古文書の多数保存されていることでも斯界で有名である。
附近の古蹟・名勝
 隠ケ丘は今も素盞鳴尊の御神陵地として尊崇されている。尚神域の附近から柏の葉を印した化石が出土するが、之を「神紋石(ごもんせき)」と称する。
経島(ふみしま)
 神社附近海岸の経島は、往昔日御碕神社『日沉宮』御鎮座の霊域として、毎年八月七日、タ日の祭典のため神職が渡島する外は、古来何人も登るを許されぬ島である。
全島悉く柱状節理をした石英角班岩の岩層から成り、恰も万巻の経文を積み重ねた様で一に「お経島」とも云う。更に又「海ねこ」の産卵、繁殖地として全国的に著名で、天然記念物に指定されている。
 又この附近一帯の海でとれる「和布」は「海ねこ」との神話に関連し古来「日御碕わかめ」として世に喧伝されている。
日御碕灯台
 神社の西北方四○○米、日御碕半島の突端に聳立していて、その高さ約四○米、東洋一の称がある。
  日御碕神社社務所(島根県出雲市大杜町日御碕)
 (神社パンフレット「日御碕神社由緒略記」より)
参拝月日  10/19/2008

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参道入り口の鳥居 社殿全景