武蔵國一の宮「式内社」氷川神社(ひかわ) HOME blog

鎮座地 〒330-0803 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1丁目407 旧武蔵国 足立郡  
電話  048-641-0137
旧社格等  官幣大社(現別表神社)
武蔵國一の宮
式内社 武蔵國足立郡 氷川神社 名神大 月次新嘗
御祭神  ・須佐之男命
 ・稻田姫命
 ・大己貴命
(配祀)
 ・倉稻魂命
御由緒  氷川神社
鎮座地・埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
     すさのおのみこと いなだひめのみこと おおなむちのみこと
御祭神・須佐之男命 稲田姫命 大己貴命
例祭日・八月一日  社 殿・鋼板茸流造  境内地・約三万坪
由 緒
 氷川神社は社記によると今から凡そ二千有余年第五代孝昭天皇の御代三年四月未(ひつじ)の日の御創立と伝えられます。
御祭神は須佐之男命、稲田姫命、大己貴命の三柱の神で大己貴命は須佐之男命の御子に坐して国土を天照大神の御孫瓊々杵命に御譲りになられた国土経営の神であります。稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神であります。この御三神をここにお祀りされたのは国土経営民福安昌祈願の為であって大和朝廷の威光が漸次東方に及ぶにつれて、当神社の地位が益々重くなったのでありましょう。地勢上から見ても氷川神社は見沼をひかえ東西南北に展開し交通の便もよく土地も肥沃で民族は弥々繁栄し今日の基をなすに至ったものと思われます。
 第十二代景行天皇の御代日本武尊は当神社に御参拝東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き格式高く、又今から凡そ千二百年前の聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定せられた延喜式神名帳には名神大社として月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預る等歴朝の崇敬殊の外厚く、又武家時代になっては鎌倉、足利、北条、徳川氏等相継いて尊仰し祭祀は厳重に行われておりました。
 明治の御代に至っては明治元年明治天皇は都を東京に遷され、当社を武蔵国の鎮守勅祭の社と御定めになり左の勅書を賜わったのであります。

 勅ス、神祇ヲ崇メ、祭祀ヲ重ンズルハ、皇国ノ大典ニシテ政教ノ基本ナリ。然ルニ中世以降、政道漸ク衰エテ、祀典挙ラズ。逐二綱紀ノ不振ヲ馴致セリ。朕深ク之ヲ慨ク。方今更始ノ秋、新二東京ヲ置キ、親臨シテ政ヲ視将こ先ズ祀典ヲ興シ、綱紀ヲ張り、以テ祭政一致ノ道ヲ復サントス。乃チ武蔵国大宮駅氷川神社ヲ以テ当国ノ鎮守ト為シ、親幸シテ之ヲ祭ル。自今以後歳ゴトニ奉幣使ヲ遣シ以テ永例ト為サン。

 次で同年十月二十八日明治天皇当神社に行幸、御親ら祭儀を執り行わせられ更に三年十一月一日再び御親祭あらせられました。この時の御行列は非常に荘厳で京都からの御遷都と同様の御盛儀であったといわれます。
 此の様に明治天皇が御親祭あらせられたのは桓武天皇平安遷都の折賀茂社をお祀りした御例によられたものといわれ、その模様を謹写した山田衛居筆の氷川神社行幸絵巻物は今も当社の社宝として大切に保存されて居ります。
 次で明治四年五月十四日官幣大社に列せられました。同九年奥羽御巡幸の節には米田侍従番長を御代拝として参向せられ、同十一年八月三十一日三度の行幸御参拝あらせられました。昭和九年昭和天皇の御参拝、昭和三十八年十月には今上陛下が皇太子殿下の御時、御参拝になられております。昭和四十二年十月明治天皇御親祭百年大祭が執り行われ、社殿、その他の諸建物の修復工事が完成、十月二十三日には、昭和天皇・皇后両陛下お揃いにて親しく御参拝を賜りました。昭和六十二年七月には今上陛下が皇太子殿下の御時、同妃殿下とお揃いにて御参拝になられ、平成五年五月には天皇・皇后両陛下の御参拝を賜っております。
 又氷川神社名の神社は大宮を中心にして埼玉県下及び東京都下、神奈川県下に及びその数実に数百をかぞえます。今日県下だけでも百六十余社に及ぶことは御神威の高く尊きによるとは申せ武蔵国造の子孫がこの大宮の地を本拠として民族的政治的に著しい発展をしたことを物語って居るものと考えられます。

  社殿の沿革
 上代のことは詳かでありませんが造営のこと古く見えているのは治承四年源頼朝公が土肥次郎実平を奉行に命じて社殿を再建して居り、文禄五年八月には徳川氏が伊奈備前守忠次を奉行として稲生弥三郎、倉橋文蔵の両人を日代に社頭を残らず造営させ、次で寛文七年三月には阿部豊後守を奉行として社頭の整備、社殿の建立をして居ります。
 明治の御代には官費を以って本殿、拝殿、中門、祝詞舎、透塀等を改造し、十五年九月二日に正遷宮を行って居ります。又昭和の御代に至っては弥々神祇奉崇の道を闡明し神威神徳を顕揚し万代家国の祈願に添わん為、神域改善事業奉賛会を組織し、埼玉官民を挙げ全国特別崇敬者を加えて昭和九年神饌所の竣工を始め、表参道の改修、同十年には社務所の改築、同十二年には勅使斎館を新築し、同十五年六月三十日本殿、拝殿、幣殿、舞殿楼門等国費をもって竣成、同年七月十六日正遷宮を斎行しました。
 昭和四十二年には明治天皇御親祭百年大祭を執り行うべく昭和三十三年十月氷川神社明治天皇御親祭百年大祭記念事業奉賛会を設立、旧武蔵国一円の崇敬者各位から寄せられた至誠の御奉賛によって、昭和三十九年七月本殿、拝殿の修営工事が竣成し、三宮家を始め旧宮家からもそれぞれ幣帛料の御奉納があり、本殿遷座に当っては勅使の御差遣を賜りました。
 つづいて昭和四十一年、同四十二年には舞殿、祈躊殿、楼門の改修工事、境内摂末社の新築、改築をはじめ神苑の整備などを完了、同年十月百年大祭を盛大に執り行いました。
 (神社パンフレット「武蔵一宮 氷川神社略記」より) 
参拝月日  05/19/2009

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三の鳥居 社殿全景