三河國二の宮「式内社」知立神社(ちりゅう) HOME blog

鎮座地 〒472-0023 愛知県知立市西町神田12 旧三河国 碧海郡 
電話  0566-81-0055
旧社格等  県社(現別表神社)
三河國二の宮
式内社 三河國碧海郡 知立神社
御祭神  ・鸕鷀草葺不合尊
 ・彦火火出見尊
 ・玉依比賣命
 ・神日本磐余彦尊
(合祀)
 ・聖徳太子 
(配祀)
 ・青海首命
御由緒    延喜式内 知立神社略記
 知立神社は、池鯉鮒大明神とも称し、古来三河国第一の名社で、東海道沿線屈指の大社であります。
抑々当神社は、第十二代景行天皇の御代、皇子日本武尊が大命を奉じて東国御平定の砌、当地に於て皇祖の神々様を祭って国運の発展を祈願し給ひ、依って以て数々の危難を脱して平定の大功を完うし給へるにより、其の報賽のため、建国の祖神、彦火火出見尊、鸕鵜草茸不合尊、玉依比売命、神日本磐余彦尊(神武天皇)の四柱の皇大神を奉斎あらせられた、国家的由緒あるお社であって、後世、文化の恩神聖徳太子を合せ祀り、相殿には当碧海「地方開拓の祖神青海首命をもお祀り申上げてあります。
 当神社は斯様な尊いお社柄でありますので、御歴代天皇の御崇敬も厚く、亀山天皇の弘長元年には正一位の神階を奉られ、元寇襲来に際しては、正安二年七月十三日附を以て異国降伏の御祈願がかゝり、明治元年九月明治天皇御東幸の際には、勅使を差遣して金幣を捧げ国運発展の御祈願があり、又仝二年十一月十一日皇后御代拝参向の節は、神札の献上を命ぜられました。
 されば領主を始め諸大名の崇敬も厚く、参勤交替の途次には必ず神札を拝受せられましたが、就中大垣藩主戸田氏は信仰極めて厚く、例祭には遠路わざわざ代参を立てられ、又刈谷藩主は毎年三回参拝奉幣せしめられ、例祭には特に警固の士をも派遣せられました。
 当神社は古来「蝮よけ、長虫よけ」「安産」「雨乞い」等の霊験いとあらたかにましますにより、崇敬者は全国にあまねく、従って御分社も県内は固より遠ぐ関東関西に亙ってその数夥しく、又大氏神と崇敬して例祭に参拝した村落が古来四十有余にのぼり、現今に於ても当碧海地方一円の大氏神として崇敬を集めさせられて居ります。
 例祭は五月三日の午前、知立市内は固より近隣各地よりの崇敬者代表等参列のもとに盛大に執り行はれ、午後には神輿の渡御があり、前日には講社祭、前夜には宵神事が行はれます。そして例祭の前日より当日にかけては、知立五ケ町より夫々壮麗な山車を曳入れ、車上知立のからくり (国指定重要無形民俗文化財) 知立山車文楽 (国指定重要無形民俗文化財) を操る等の神賑ひもあり、参拝者雲集し実に県下屈指の大祭礼であります。
 尚当神社は有名な三河三弘法発祥の霊社であって、其の昔弘法大師が当地巡錫の砌、三七日の間当社に参龍して衆生利益の祈願をこめ、周辺を遊化して所願を果し、将に此の地を旅立たんとせられた時、其の高徳を慕って名残を惜む民衆のため、当神社の御神木を以て自像三体をきざんで残されたのが、抑々当地三弘法の起りであって、此の特別の縁故により、毎月旧暦二十一日の三弘法縁日には、当神社に参拝せねば、大師の御精神に副はない、片参りになるとて、数万の巡拝者が蜿蜒長蛇の列をなし、境内と参道をうづめる雑踏は、実に一大壮観であります。

一、攝末社
  摂社 親母神社 御祭神 豊玉媛命
  仝  土御前社 御祭神 吉備武彦命(知立神社創建の御奉行と伝ふ)
  末社 小山天神社。 合祀殿。 秋葉社
一、由緒ある建物
  多宝塔(嘉祥三年慈覚大師の創建と伝へ、重要文化財に指定せられて居る)
  養正館(神道中興の聖帝明治天皇お小休みの記念館である)
一、宝物の一部
  古額(表に正一位智鯉鮒大明神と彫り、裏に正安三年の銘あり、勅額と伝ふ)
  舞楽面(数面あり、往古舞楽神事に使用したもので、優秀な作である)
  蛙の型体(往古雨乞神事に使用したものである)
  古文書(徳川清康、同家康寄進状其の他数通あリ)
  出土品(手烙型土器を始め祝部古瓦等多数あり、主として境内及当神社神宮寺旧跡より出づ)
一、名木名花
  しやしやんぽ(神木と伝へ、稀世の古木である)
  甘樫(大木十数本あリ、其の実美味である)
  とねりこ(古木数本あり)
  杜若(花盛り五月中旬)
  花菖蒲(明治神宮特別御下賜の名花数十品種あり、花盛り六月中旬)
 (神社パンフレットより)  
参拝月日  04/01/2009

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境内入口の鳥居 社殿全景