越後國一の宮「式内社」天津神社(あまつ) HOME blog

鎮座地 〒941-0056 新潟県糸魚川市一の宮1丁目3-34 旧越後国 頚城郡  
電話  025-552-0036
旧社格等  県社
越後國一宮
式内社 越後國頸城郡 大神社
御祭神  ・瓊瓊杵尊
(配祀)
 ・太玉命
 ・天兒屋根命
(合祀)
 ・表筒男命
 ・中筒男命
 ・底筒男命
御由緒  天津神社 新潟県糸魚川市一の宮。
旧県社。祭神は瓊々杵尊 ・太王命・天児屋根命。
 糸魚川町の内一の宮、押上、寺町、大町、七間町等の産土神として崇敬され、慶長一六年(一六一一) に徳川幕府から黒印地一〇〇石を寄せられ、翌年朱印地に改められる。奴奈川姫神像(木彫)が県文化財に指定され、神輿渡御競合、また稚児の舞と通称されている舞楽一二の舞の神事芸能がある。
例祭四月一〇日、一〇月二四日。
 (神社辞典・東京堂出版)               (

  説明
 神社名 天津神社 一ノ宮と俗稱す
 祭 神 瓊々杵尊 天児屋根命 天太玉命
     境内別に奴奈川神社あり奴奈川媛命 八千矛命を祀る
 鎮座地 新潟縣西頸城郡糸魚川町大字一ノ宮
人皇第十二代景行天皇の御宇の創設に係り人皇第三十六代孝徳天皇の勅願所たりと云ひ傳へ延喜式内社の一ならむと推稱せらる
 社殿はもと山崎の地に在りしを山崩れのため此の地に移し造營したりと傳ふ
此の地方は往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ媛と契らせ給へりと云ふ史實と御二方の間に生れましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ遠近を開拓統治し給へりと云ふ傳説とに徴すれば此の地は神代に於て國津神の威武を内外に發揚し給へる重要なる基地たりしを想察するに足る
 ただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは後世天神地祇其の處を換へたるに依るならむか
女神像四體 掛佛 古面 舞楽装束等を秘蔵す
春季大祭は四月十日(昔は三月十日)秋季例祭は十月二十四日(昔は十月十日)執行せらる。
 大祭に神輿渡御の盛儀あり壮観多く匹傳を見ず
舞楽十二曲あり俗に「ちごの舞」と稱し大祭當日演舞せらる百花繚乱の候婉麗優美千古雅趣を帯ぶる舞楽を豪壮極りなき神事の後に拝するは對照の妙正に一大奇観にして古来名物祭の名を檀にしたる所以も亦茲に存するか
 陵王 大納蘇利 拔頭 能拔頭の舞面は明治十一年九月明治天皇の北陸御巡幸に際し行在所に於て天覧に供したり
神社は藩政當時朱印一百石を寄進せらる
 大正七年郷社に列せられ昭和十八年三月縣社に列せらる
  昭和二十年7月
       天津神社社務所
 (参道説明板より)
参拝月日  05/18/2010

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境内入口の鳥居 社殿全景