鷲原八幡宮(わしはらはちまんぐう)   HOME  blog

鎮座地 〒699-5613 島根県鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 旧石見国 鹿足郡  
電話  
旧社格等  村社
(楼門内由緒掲示板に明治6年村社とありますが、社域、社殿の規模から疑問です。
 その後昇格されているのかも) 
御祭神  ・譽田別尊
 ・息長足姫尊
 ・玉依姫命
(配祀)
 ・天於受女命 ・大山祇命 ・宇迦能魂命 ・菅原道眞 ・佐陀比古命 大己貴命
 ・水波乃女命 ・新田義興 ・國常立命 ・加具土命 ・素盞嗚命 ・蛭子命 ・吉見頼行
御由緒   鷲原八幡宮略由緒
祭神 主神合神左記の通りであります
 主神 譽田別命 玉依姫命 息長足姫命
 合神 国常立命 素盞嗚命 天於受女神
    水波女命 事大主命 佐陀比古神
    大国主命 迦具土命 宇迦能魂命
    小彦名命 大山祇命 菅原道真公
    蛭子神  新田義興公 吉見頼行公 
此のお宮の起元は約一千年の昔、天暦年間に郷士山根六左衛門と云う人が 宇佐八幡宮を勧請した時にはじま
ります。
 更に弘安五年の秋、中国西藩の旗頭を拝命して能登の国から西下し 石見国木部木曽野(今の津和野町木部)
に仮の居を定めた吉見三河守頼行公が鶴ケ岡八幡宮を勧請せられました。
 社殿が木曽野から此の地に移されて改築せられたのは三本松城(津和野城の事)が完成した 嘉慶元年(一三
八七年)吉見頼直公(頼行公の嫡子)の時代であります。
 この広大な流鏑馬の馬場は当時鶴ケ岡のそれに模して構築せられたものです。
爾来三本松城の守護神として吉見、坂崎、亀井歴代領主の崇敬厚く、亀井氏の時代には藩中の三大社と稱され
される神社の中の最高位に置かれておりました。他の二社は祇園社(今の弥栄神社)と武霊社(今の津和野神社)であります。
 流鏑馬の馬場は日本で唯一つ原形を留めて居る貴重な文化財であります。又日本で初めて公園と云う名詞が用
いられたのは此の鷲原公園で 天保三年に奉納された額に書いてあります。
社宝は数多く所蔵されてあります。社殿の石彫唐獅子は藩の彫刻家大島松渓の名作、本殿の左平地には藩の画
家三浦紫畹の梅の画碑があり、その上の丘には樹齢一千年を越える大杉(周囲八、七米)が天高くそびえてお
ります。
  (境内由緒掲示板より)

  島根県指定文化財
鷲原八幡宮流鏑馬(やぶさめ)馬場
 この流鏑馬馬場は、永禄11年(1566)吉見氏により鶴ケ丘八幡宮が勧請された際に、その馬場に倣ったものと
いわれている。
 馬場は、参道に対して直角に交わり、南北の長さ138間(約251m)、中央部の幅15間(約27.3m)の長方形となっている。東部外側一帯緩斜面となっており、ここに藩主はじめ藩士が臨席した。
 南西北の三方には高さ数尺の堤で囲まれており、さらに長方形内に南北に走る一条の中堤があり、長円形状の
舗道を形作っている。
 中堤には、東に面して設けられた三ヶ所の的場がある。的場は舗道より1尺5寸(約0.45m)余りの高
さがあり、それぞれ底辺20尺(6m)から40尺(12.1m)の幅で弧線を描き窪形に作られ背面は堤より
4尺(1.2m)程の高さがある。
 この流鏑馬馬場は、鶴ケ丘八幡宮の馬場に倣ったものと伝えながら、地形の制約を受けて八幡宮に対し横馬
場となっていることが特徴である。また、現在みる史跡は、県道開設の折、西側堤が若干切り崩されてはいる
ものの、そのほかは当時の遺構をそのまま残している、日本でも唯一のものである。
 例年、4月の第2日曜日にはこの馬場において、流鏑馬神事(津和野町指定無形民族文化財)が行われる。
    島根県教育委員会
    津和野町教育委員会
  (馬場入り口案内板より)
参拝月日  04/12/2008

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一の鳥居 楼門