| 鎮座地 |
上社 〒917-0243 福井県小浜市竜前28-7 旧若狭国 遠敷郡 
下社 〒917-0241 福井県小浜市遠敷85-41 旧若狭国 遠敷郡  |
| 電話 |
0770-56-1116 https://wakasahiko-jinja.jp/ |
| 旧社格等 |
国幣中社(現別表神社)
若狭國一の宮
式内社 若狭國遠敷郡 若狹比古神社二座 名神大
|
| 御祭神 |
上社・若狭彦大神(彦火火出見尊)
下社・若狭姫大神(豊玉姫命 |
| 御由緒 |
若狭彦神社由緒記
名称
上社 若狭国一宮若狭彦神社上社
下社 若狭国一宮若狭彦神社下社
下社を古米、若狭姫神社、遠敷神社(遠敷明神)とも称したが、明治初年、国幣中社に列せられて、官祭を仰せ出された後は、若狭姫神社、
または若狭彦神社下社と 公称されるようになった。また上社及び下社を併せて、若狭彦神社とも、上下宮(ジョウケグウ)ともたたえまつる。
「姫宮を出て彦宮へ秋日和」 村田眉丈 下社境内に句碑がある。
祭神
上社 彦火火出見尊(ヒコホホ デミノミコト)を若狭彦神とたたえて奉祀する。
下社 豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)を若狭姫神とたたえて奉祀する。
海幸、山幸の神話で名高い神々である。
創建
上社 霊亀元年九月十日鎮座 平成21年より1294年前。
下社 養老五年二月十日鎮座 平成21年より1288年前。
小浜市下根来白石(小浜線東小浜駅より南5100mに鵜の瀬というところがある。 遠敷川の清流が巨巖に突当って淵をなしておる。この巨巌の上に、
先づ若狭彦神、次いで若狭姫神が降臨されたと伝える。この南方150mのところに、創祀の社と伝える白石神社がある。
その後、永久鎮座の地をもとめて、若狭国内を巡歴なされた末、霊亀元年九月十日に、 龍前に若狭彦神社、六年の後、即ち、養老五年二月十日に、
遠敷に若狭姫神社が鎮座。上下分れての鎮座は、深き幽契の存するところと恐察しまつる。
境外社
白石神社 小浜市下根来白石鎮座
祭神は若狭彦神、若狭姫神を白石大神、または鵜の瀬大神とたたえて奉祀。若狭彦神社創祀の社、と伝えるが年代不祥。
境内に椿が群生し、目通2.14m。樹高12.30m米の大木は、市の天然記念物に指定。 この社の北方150m、遠敷川をはさんで、若狭彦神社の飛地境内が ある。鵜の瀬という霊域にして、清流が巨巌に突当るところの深淵を、奈良二月堂の若狭井の水源と伝えておる。 この巨巖は、若狭彦神、若狭姫神の降臨ましましたところ。またこの鵜の瀬は、若狭彦神社の送水神事(豊作を祈願する神事)の斎場でもある。
「瀬にしみて奈良までとどく蟬の声」 山口誓子 この句碑が白石神社の境内にある。
(神社パンフレットより抜粋)
若狭一の宮(若狭彦神社・若狭姫神社)
◆概要◆
若狭一の宮は神社の記録によりますと、奈良時代初期にあたる養老5年(721)に創建されたといわれています。若狭一の宮は上社と下社の総称ですが、ふつう上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼んでいます。彦神社は和銅7年(714)遠敷郡下根来村白石に創られましたが、霊亀元年(715)現在の地に遷社したとされています。
祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)、姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫)です。共に、海上安全、海幸大漁の守護神として信仰されています。
彦神社の本殿は、文化10年(1813)造営で正面、側面、向拝が3間の三間社流造桧皮葺の建物で、山を背景に建てられています。神門(中門)は天保元年(1830)の造営で、四脚門形式の切妻造桧皮葺、随神門は江戸時代後期の造営、八脚門形式の入母屋造桧皮葺です。
姫神社は、本殿は享和2年(1802)造営の正面3間、側面3間、向拝1間の流造桧皮葺の建物です。本殿を囲む瑞垣(透塀)の内部には千年杉で有名な神樹が聳(そび)え、千古の神域を一層森厳にしています。神門(中門)は、享和3年(1803)の造営、随神門は寛保3年(1743)の造営で、ほぼ上社と同じつくりとなっています。
この二つの神社で共通する点は、境内に、本殿・神門・随神門といわれる3つが一直線に配置されていることです。全体的には、彦神社は本殿の前面屋根が短く簡潔なところから厳粛な神殿といわれるのに対し、姫神社は本殿の屋根が流れるように伸びていますので、やさしく美しい感じを受けます。
姫神社の社叢はカゴノキ、ムクノキなど暖地性広葉樹林で、県の天然記念物に指定されています。
(小浜市公式サイト https://www1.city.obama.fukui.jp/kanko-bunka/jisha-shiseki/79.html)
|
| 参拝月日 |
11/21/2009 |