梅安天満宮(うめやすてんまんぐう)       HOME blog

鎮座地 〒809-0030 福岡県中間市中央1丁目42 旧筑前国 遠賀郡  
電話  
旧社格等  無格社  
御祭神  ・菅原神
御由緒   名蹟 梅安天満宮の由来
 ここ徳若の天満宮は、大永年間(四五〇年前)大宰府の菅公(菅原道真公)を勧請して祭られたもので、延享年間(二三〇年前)惣社山よりここに移されています。
 この地はもと梅安といわれていたことから、梅安天満宮と称され祭礼日の御神幸は遠賀川の渡場までおくだりになり、御神輿の前後には神官が騎馬で伺候し、令人が音楽を奏して奉従し近村からの参詣者も多く盛大であったといわれています。
 また一説には安産の神として崇敬され、産安天満宮とも呼ばれていました。
この神社は公民館の集会に利用されていましたが、昭和五八年三月氏子の総意に基づき浄戝を集めて拝殿が新築され見事に完成し、公民館は移転し、伝統のうそ替神事が継承されています。
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                   中間郷土史会
 (社頭由緒掲示板より、原文のまま)
 註:大永年間(1521~1527)、延享年間(1744~1747)

  菅公と鷽(うそ)の由来
 その昔菅公(菅原道眞公)が大宰府に下向の折、蜂の大群が現れ一歩も進めなかったとき、いづこからともなく鷽(うそ)の大群が飛来してきて、またたく間に蜂を全滅させ、菅公の一行は無事通行できたという由緒があります。
 鷽(うそ)の鳥は鳩よりやゝ小さく、頭と尾は黒く、腰のあたりは白く、腹部と背は灰色で雄の胸は美しいバラ色をし、綺麗な声で鳴くのが有名です。
 拝殿前にある鷽(うそ)の像の頭をさすると頭が良くなることから、天満宮さまの守り鳥として知られ、幸運の神として信仰があり、広く親しまれています。
 鷽(うそ)替え神事は、一年中の嘘と誠を神前にて取替え、罪滅のためといわれ、開運の出世を授かると信じられ、求めて帰った鷽(うそ)を神棚にお祀りすると、除災招福と家運隆盛を祈願するのもこの故であります。
  梅安天満宮 氏子総代
(拝殿左、案内板より)

 自詠 菅原道眞
離家三四月。落涙百千行。(いえをはなれてさんしげつ なみだをおとすひゃくせんこう)
萬事皆如夢。時時仰彼蒼。(万事みなゆめのごとし じじひそうをあおぐ)
 (石碑案内板より)
参拝月日  01/26/2008
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  一の鳥居                                 拝殿