鵜戸神宮(うどじんぐう) HOME blog

鎮座地 〒887-0101 宮崎県日南市大字宮浦3232 旧日向国 那珂郡   
電話  0987-29-1001
旧社格等  官幣大社(現別表神社)
御祭神  ・日子波瀲武鸕草葺不合尊
(配祀)
 ・ 大日孁貴尊 ・天忍穗耳尊 ・彦火瓊瓊杵尊 ・彦火火出見尊神 ・日本磐余彦尊
御由緒 〔ご主祭神〕
 日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
〔ご祭神ご系譜〕
 大日孁貴(天照大御神・伊勢神宮)-天忍穂耳尊(英彦山神宮)-彦火瓊々杵尊(霧島神宮)-
 彦火々出見尊(鹿児島神宮)-日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊(当神宮主祭神)-
 神日本磐余彦尊(神武天皇・宮崎神宮)
  六柱のご祭神を奉祀している。
                    

〔ご鎮座〕
 当神宮は、「鵜戸さん」と愛称され、国定公園日南海岸の風光明媚な所、日南市鵜戸山の日向灘に面した、自然の神秘な洞窟の内に、朱塗りの色あざやかにご鎮座されている。
 この洞窟は、主祭神の産殿の址と伝えられる霊地で、およそ千平方メートル(約三百坪)ほどの広さがある。
  強烈な太陽のもと、おりなす奇岩怪礁、紺碧の海、波状岩に砕ける白波と、自然の景勝につつまれたロードパーク日南海岸の中心地に当神宮はお鎮りになっている。
〔ご由緒〕
 当神宮のご創建は、第十代崇神天皇の御代と伝えられ、その後第五十代桓武天皇の延暦元年には、天台宗の僧、光喜坊快久が、勅命によって当山初代別当となり、神殿を再興し、同時に寺院を建立して、勅号を「鵜戸山大権現吾平山仁王護国寺」と賜わった。
 また宗派が真言宗に移ったこともあり、洞内本宮の外、本堂には六観音を安置し、一時は「西の高野」とうたわれ、両部神道の一大道場として、盛観を極めていた。
 そして明治維新とともに、権現号・寺院を廃して鵜戸神社となり、後に官幣大社鵜戸神宮にご昇格された。明治を一三〇余年経過した今日、全国津々浦々から、日本民族の祖神誕生の聖地を訪れる参拝者は、四時絶えることなく続いている。
〔御社殿〕
 現在の御社殿は、前回の昭和四十三年に本殿末社の修改築を経て、平成九年十一月に屋根の葺き替え、漆・彩色の塗り替えを終え鮮やかに復元された。
〔信 仰〕
 母君の豊玉姫命が御子の育児のため、両乳房をご神窟にくっつけて行かれたと伝える「おちちいわ」は、いまもなお絶え間なく玉のような岩しみずを滴らせて、安産・育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。
かって当地方には、新婚若夫婦が 「シャンシャン馬」に乗って鵜戸詣りをする風習があった。いまではこのゆかしい慣わしはなくなってしまったが、車で訪れる現代の新婚旅行の参拝者も数多くある。新婚旅行のメッカといわれるゆえんである。
 このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、また漁業、航海の守護神としての信仰は愈々篤く、今後とも神秘な霊気によって人々の魂を高めて行くであろう。
〔ご陵墓〕
 神域の最高地、連日峰の頂に主祭神を葬める吾平山上陵(宮内庁御陵墓参考地)がある。
   (神社パンフレットより)

鵜戸神宮         
 鵜戸神宮は崇神天皇の頃の創建と伝えられる古い神社で初代の天皇・神武天皇の父である鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえすのみこと)をはじめ6神をお祀りしています。漁業・航海・緑結び・安産の神として信仰されており、一年を通じてたくさんの参拝客が訪れます。江戸の終わりまでは鵜戸山大権現とよばれ寺坊が18あったといわれており、洞窟の中の朱塗りの極彩色の神殿に神仏習合時代の名残を見ることができます。本殿の真裏には、豊玉姫が残したといわれる乳房状のお乳岩があり、鸕鷀草葺不合尊はこの岩からしたたり落ちる清水で育てられたといわれています。
 また、本殿前の崖下にある亀の甲羅のような形になった岩に運玉(うんだま)といわれる素焼きの玉を投げて中に入ると願い事が叶うといわれています。
 (案内板より)
参拝月日  11/26/2008



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一の鳥居 社殿全景