御由緒 |
因幡國一の宮 宇倍神社
ご祭神 武内宿禰命
【大臣の祖】
武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)は第十二代景行天皇より、成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5朝にお仕えされ、まことをつくして天皇の信任篤く、わが身を投げうって東 奔西走、日本の統一に尽力されました。
わが国で最初に「大臣」の称を賜わり、総理大臣の祖ともいえる国の功神です。
【子供の神】
命(みこと)はまた、進んだ大陸文化を導入されて、古代大和朝廷の最盛期を築き上げられました。特に仲哀天皇・神功皇后を補佐して北九州に出陣されご活躍になったことは有名で、ご幼少の応神天皇(八幡さま)を抱き奉る姿は5月端午の節句に掲げる幟(のぼり)の絵柄となっております。
【長寿の神】
命(みこと)は仁徳天皇5五十五年春三月因幡国の亀金岡(かめがねのおか)に双履を遺し三百六十余歳でお隠れになったと記されています。
古くから本殿の後丘にその霊跡と伝える石があり、双履石(そうりせき)と呼ばれています。
ここは日本一長寿の神さま御昇天の地です。
由緒【おかねに御縁の神】
当社は、孝徳天皇大化四年(六四八)の創建と伝えられ、延喜式では鳥取県で唯一の名神大社、また一の宮として崇敬篤く、明治4年には国幣中社に列せられました。
現在の社殿は、明治三十一年に完成しましたが、翌三十二年には全国の神社で最初に、命の御尊像と共に五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回当社が五円・一円紙幣の図柄となりました。
お金に御縁があり、商売繁昌の神様として全国からの参詣が絶えません。
(神社パンフレット「因幡國一の宮 宇倍神社」より)
因幡国一之宮 宇倍神社
御祭神 武内宿禰命は上古、景行天皇以下五期の天皇に歴任され、奥羽から九州の果てまで 東奔西走、日本の発展に努力され、さらに神功皇后を御輔けして日本の統一に尽力されました、また応神天皇の御成長を見守られながら 大陸文化を導入されて平和と繁栄の礎を築き 国の功神として我が国最初の大臣とされました。
武内宿禰命は仁徳天皇五十五年因幡国に下向され御社背後の亀金岡にて双履を残し、三百六十余歳を以て昇天されました。
この由緒をもって創建された宇倍神社は平安時代には名神大社、因幡国一之宮として 尊崇され、明治四年には国幣中社に列せられました、
また明治三十二年、現在の御社殿新築のおり 命の御尊像と共に当社全景が全国で最初に 紙幣に載せられ、以後大正、昭和と五円、一円紙幣で 広く国民に親しまれて来ました。
古くから福徳長寿、厄除の神としてまに病気平瘉 交通安全や子供の成長を祈り、さらに志を打ち立てる社として広く崇敬されております。
春例大祭 四月二十一日 秋祭 九月二十一日
(拝殿 由緒掲示板)
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