御由緒 |
御祭神
大己貴命(おおなむちのみこと)(別名 大国主命(おおくにぬしのみこと)
[摂社]
手摩乳・足摩乳神社 手摩乳命(てなづちのみこと)・足摩乳命(あしなづちのみこと)
素盞嗚神社 素盞嗚命(すさのおのみこと)
[末社]
稲荷神社 宇加之御魂命(うかのみたまのみこと)
愛宕神社 火産霊命(はぶすなのみこと)
熊野神社 早玉男命(はやたまおのみこと)・事解男命(ことさかおのみこと)
菊理比売命(くくりひめのみこと)
[奥宮]
瀧神社 高龗命(たかおかみのみこと)
都農神社の御創建
創祀されたのは御即位六年前の神武天皇が宮崎の宮を発し東征の折、この地に立ち寄り、国土平安、海上平穏、武運長久を祈念し祭神を祀った事とされる。社殿は壮大、境内広閣であったとされるが島津・大友両家の争いで大友家による兵火により焼失。
元禄五年に藩主秋月種政により再興されるまで小さな祠があるのみの状態だった。
現在の神楽殿(旧拝殿 )は安政六年に再建されたもので、明治天皇が即位された時に、神祇を崇め、祭祀を重んずるの大典を挙げられ、明治四年五月県内最初の国幣社に列せられた。
境内も昭和九年に神武天皇御東遷二千六百年を記念し拡張整備された。
現在の新社殿は、旧社殿の老朽化に伴い、平成十四年より、「平成の大造営」と銘打って、五年計画で、皆様方のご協力によりまして、平成十九年に完成し七月七日の夜に御神体を御遷ししました。
都農神社の編纂史
承和 四年( 837)官杜に列せられ、神階の宣授[続日本後紀]
天安 二年( 858)従四位上が授けられる[日本三代実録]
延長 五年( 927)式内杜に列せられる[延喜式神名帳〕
天正 六年(1578)島津・大友両軍の騒乱により社殿焼失
元禄 五年(1672)高鍋藩主秋月種政により社殿の再興
安政 六年(1859)篤志家の社殿の寄進
明治 四年(1871)国幣杜に列せられる
昭和 九年(1934)神門・境内の拡張整備
平成十西年(2003)御造営奉賛会設立
平成十九年(2007)新社殿完成
夏祭(御神幸祭)
夏祭は、天保三年に第九代秋月藩主の認可を受け、再復興を致し、現在に至っております。県内外においても見られない勇壮で盛大なお祭りであります。
また、御神輿は、大正十一年に購入され同規模のものは、国内に数台しかありません。
例大祭(冬祭)
冬祭は、元々、例大祭とは別々でしたが、昭和二十二年から、併せて執り行われ御神楽は立居振舞が高尚優美、勇壮活発なことから如何にも神々しく、神人合一、神ながらの神楽として、古くは奈良時代に、畏くも、宮中より八回も御招き頂き御前演奏により過分の賞賜のことが 「日向高鍋神楽の由来」に記されております。
(神社パンフレットより抜粋)
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