御由緒 |
月瀬八幡宮御由緒
御祭神、応神天皇、神功皇后、宗像三女神、天満神、
御由緒、社伝にいわく、寛永15年(1638年)8月、時の筑前藩主黒田忠之公、この地に別業(御茶屋)を営むに際し、まづ守護神をまつらんとして、大宮司佐野清麻大夫正安に命じ、猫城跡(現在の社地)に社殿を造営し、宇佐八幡宮を勧請鎮祭す。これ当社の始まりなり。
御社号は初め猫城八幡宮と称せしも、後に宇佐八幡宮境内を流れる月瀬川にちなみ月瀬神社、その後
月瀬八幡宮と称す。
正保4年藩主は神鏡一面を寄進し、続いて宝永元年(10月)黒田光之公、本殿を改築、同2年拝殿を建立す。
宝暦2年藩主は御供料として米7俵宛永代御寄進の制を定めらる。代々の藩主の崇敬厚く、社参において40回余り、代参は50回に及べり、藩公創祭の神社とて庶民の信仰も厚く、種々の寄進物等あり、文政3年より郡役所より米俵1俵、掃除夫1名を永代遣わす事となれり。終戦後、梅園山に鎮座の天満宮を遷座し、合わせまつっている。
(平成祭データより) |