豊玉姫神社(とよたまひめ) HOME blog

鎮座地 〒897-0302 鹿児島県南九州市知覧町郡4186 旧薩摩国 給黎郡  
電話  0993-83-4335
旧社格等  
御祭神  ・豐玉姫命
 ・日子火火出見命
 ・豐玉毘古命
 ・玉依毘賣命
御由緒  豊玉姫神社案内
鎮座地
 鹿児島県川辺郡知覧町郡1650番地
御祭神
 豊玉姫命 彦火々出見命 豊玉彦命 玉依姫命
御系統
  (伊勢神宮) (霧島神宮)   (鹿児島神宮)     (鵜戸神宮)
  天照大神ーーー瓊々杵命ーーー彦火々出見命ーーー鵜草葺不合命ーーー神武天皇
          木花開耶姫命    豊玉姫命       玉依姫命
主な恒例祭
 歳旦祭  1月 1日
 春 祭  3月 2日
 田植祭 6月 5日
 夏 祭  7月 9日
 例大祭 10月 9日
 秋 祭 12月 2日
 大祓祭 12月 31日

豊玉姫神社由緒
 海神綿津見神に二女あり、姉の豊玉姫は川辺に、妹の玉依姫は知覧に封ぜられることとなり、衣の郡(今の開聞の辺)を御出発になつた。   
 その経路は鬢水峠(鬢の毛の乱れを整えられた処)御化粧水(この水にて化粧された)飯野(昼飯をとられた処)宮入松(正式に行列を正し休憩された処)を経て、取違(姉妹の神様が行く手を違われた処)にお泊りになった 。ここで玉依姫は川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のままの朝食をお炊きになって川辺へ先発された。平常のよぅに白米をお炊きになった豊玉姫はおくれてしまったので、やむなく妹姫の宰領されることになっていた知覧へ向かい、上郡に宮居をお定めになって、知覧を宰領されたという。
 ここで姫神は民生を撫育された後崩御遊ばしたので、郷民は御遺徳を慕って城山(のちの亀甲城)の麓に社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが、この神社のはじまりであるといい伝わっている。
 のちに父神・夫神・妹神の三柱も合祀申し上げたのであるが、慶長15年(1610)時の領主島津忠充公が、
現在の地を寄進して、遷宮したといわれている。当神社は一郷の鎮守の神であるが、近郷の信仰も厚く、知覧忠世の和与状に見えるように、社格は高く、地方民の精神的統一の中心であった。
 多数の古文書によると、応永年間(1394~1428)・元亀元年(1570)・慶長15年・寛文11年(
1671)等の造賛再興の記載がある。本藩島津家の信仰も厚く、改築等に度々御加工を戴きまた年々祭米が奉納されていまる。特に出陣の時等は祈願祭が行なわれ、多数の祈願文が秘蔵されている。
 又境内の夫婦銀杏は15代貴久公の御手植と伝えられる。
神社につたわる宝物も多数で、歴代知覧領主直筆の書額を始め、木彫の狛犬・セレベス島特有の武器である火焔形剣・また神楽面(慶長・安永・貞享・元禄年間作等)34面に達している。
 祭神に対する特殊信仰も多く、豊玉姫命は御顔形が玉の如く御立派な方で、み子をお産のときも、産殿の屋根もまだ葺き終えないうちに、軽々と御安産遊ばされたので妊婦は、当社を信仰崇拝すれば、必ず安産で、その上美形の子をうむと信ぜられ婦人の崇拝は殊に厚い。
 また豊玉姫・豊玉彦・玉依姫は共に海を司る綿津見の神であらせられ、航海や船出の折は、当社を崇敬し護符を受けて身につくるときは、絶対安全と幸福が得られるものと、漁業の方面に特殊の信仰がある。
 (社頭由緒掲示板より、一部判読不可推測あり)
参拝月日  11/28/2008



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境内入口の鳥居 拝殿