立磐神社(たていわ) HOME blog

鎮座地 〒889-1111 宮崎県日向市美々津町3419 旧日向国 児湯郡   
電話  
旧社格等  郷社 
御祭神  ・表筒男命
 ・中筒男命
 ・底筒男命
御由緒   立磐神社の由緒
 当社は神武天皇御東遷の砌、美々津港よりお船出し給うに当り、御航海の安全を御祈念せられて、この埠頭に住吉大神とも申し奉る、底筒男命、中筒男命、表筒男命の三柱の大神を奉斎し給うたとて、第十二代景行天皇の御代に創祀されたものである。
 其後多くの変遷隆替を経ましたが、貴き伝説と特異の行事等は、今も尚連綿として継承されています。かくて永禄の頃より地頭の崇敬あり、祭礼行事も殷盛となっていました。
 然るに天正六年(約四百四十年前)大友氏と島津氏との戦火に罹り、宝物文献記録等皆烏有に帰したのであります。其後元和九年に再興し、寛文宝永の頃完く旧観に復して、領主より神領を供されて社殿増築をなし、又神事ある毎に寄進あり。かくて明治初年まで歴代藩主の崇敬せられた神社であります。 
 更に境内には「神武天皇御腰掛岩」があり、玉垣を巡らして岩そのものを御神体として崇拝しています。
明治4年郷社に列格、やがて、昭和九年は恰も神武天皇が御船出せられて丁度二千六百年に相当するので、之を記念して国家的大祭典を挙行せらるるよう県当局へ申出し処承諾され、終に秩父宮殿下を総裁に仰ぎ、松平頼寿伯を会長に酒井忠正伯と君島知事を副会長として全国的な御東遷二千六百年祭典が斎行されました。
 当社記念事業としては(1)境内を更に拡張整備した(2)竜神バエの岩上に住吉灯籠を摸したる神のみあかし灯台が設置された。(3)日本海軍発祥の地の記念碑が建立された。(4)おきよ丸御東行巡路漕舟大航軍を挙行された。これは日向国の青年百五十名が漕舟して美々津港を船出し途中天皇がその昔寄港せられたという由緒あるところに寄港しつつ、其月浪波に上陸御楯を奉持陸路橿原神宮に奉納した末曽有の大行事であった。 
 御東遷 二千六百五十四年
 皇紀  二千六百四十八年
  まとめ 宮司 xx xx
   (境内石碑より)
 註:皇紀二千六百四十八年(昭和63年=1988年)

  神武天皇御親率の東征水軍御進発の聖地
「日本海軍発祥之地」碑
 建立・昭和17年(紀元二千六百二年】9月10日 
 復元・昭和44年(紀元二千六百二十九年)9月12日
  建立・復元の経緯と碑文の由来
 日本海軍は、天皇が統帥された海軍でありました。このことから国が、神武天皇御親率の水軍が、はじめて編成され、進発した美々津の地を「日本海軍発祥之地」と定め、紀元二千六百年記念事業の一環として建立されました。碑文の文字は、時の内閣総理大臣海軍大将米内光政閣下の揮毫により、碑面に刻記されたのであります。この碑は、大東亜戦争の終戦直後進駐米軍によって碑文が破壊されましたが、昭和44年に至り地元有志の強い要望により、防衛庁(海上自衛隊)などの協力を得て、現在のとおり復元されたのであります。
 平成4年9月12日 「日本海軍発祥之地」碑顕彰保存会
   (碑前案内板より)
参拝月日  11/25/2008



写真をクリックしてくださいフォトアルバムに移動します。
鳥居 拝殿