鎮座地 |
〒791-3134 愛媛県伊予郡松前町大字西古泉536 旧伊予国 伊予郡 |
電話 |
089-985-0173 |
御祭神 |
・譽田分命 (ほんだわけのみこと)第15代応神天皇
(配祀)
・三女神(市杵嶋姫命、田心姫命、瑞津姫命)
・足仲彦命 (第14代仲哀天皇)
・氣長足姫命(神功皇后)
・玉生石神 |
旧社格等 |
郷社 |
御由緒 |
仲哀天皇の九年(200)ころ、神功皇后が三韓におもむかれる時、当地を逍遥して、湧き出る清泉に戦勝を占い、布が濃紺に染まる吉兆にちなんでこの地を「濃染の里(こいぞめのさと)」と命名した。帰途、また船をとどめられ、天神の神託によって久欺美玉(くしみたま)を玉生林にまつったが、後世、郡司がここに社殿を造営して久欺美玉宮(くしみたまぐう)と称して崇拝した。
文武天皇の慶雲四年(707)六月十七日、伊予の豪族小千玉興(おちのたまおき)・玉純(たまずみ)が厳島神社より三女神を勧請して久欺美玉宮に合祀し、日女宮(ひめみや)と称した。古事記・日本書紀によると、三女神は、天照大神が素戔鳴と八坂瓊の勾玉に誓ってうまれた神で、海の神となっている。海上交通が盛んで航海安全の祈願が行われたのであろう。
清和天皇の貞観元年(859)の宇佐八幡宮の神霊を勧請し
うれしくも 松の梢に 立寄りて 久しくここに 民を守らん
との御神詠により日女宮に合祀して、玉生八幡大神宮と改め、後、玉生八幡大神社と改称した。
境内神社の玉生古宮(たもうふるみや)は、誉田別命をまつるが、12世紀から16世紀にかけて約400年間、昌農内玉生にあった石清水八幡東宝塔院領荘園「玉生荘(たもうのしょう)」に勧請していた古社である。
玉生八幡は、加藤嘉明の崇敬篤く、嘉明の松前城より松山城への移転は、玉生八幡の御宣託の夢占いによるものともいわれている。
もとは、南面していたが、このころ西向きに改修されたという。
以来、産土大神として地域の尊崇がきわめて篤い。
松前町教育委員会 |
参拝月日 |
10/07/2006 |