焼火神社(たくひ) HOME blog

鎮座地 〒684-0303 島根県隠岐郡西ノ島町美田1294 旧隠岐国 知夫里郡  
電話  
旧社格等  県社
御祭神  ・大日孁貴尊
御由緒 由緒書
 隠岐・島前内海中央にそそり立つ焼火山は古代より神の鎮まります御山として島人より信仰されております。御祭神は大日孁貴尊(オオヒルメノムチノミコト)と申し、平安期に至り海中より神火が示現し、それが山に飛入った奇瑞を見た島人がそれを追って山中に分け入って現在の巨岩を発見、ここを神の鎮まります処として社殿を営んだと縁起書に記されております。
 殊に後鳥羽上皇隠岐遷幸の折りにも神火の示現によってつつがなく着岸されたという伝承もあります様に船人の信仰する大神として、江戸時代には安藤広重・葛飾北斎の浮世絵にも描かれておりました。
 近世に至るまで隠岐島のみならず日本海及び東北の太平洋岸にわたり船神として神威はあらたかでありました。今も船人には特に海上安全の神として山陰一帯のみならず、中国山地にもその信仰はあまねくゆきわたっております。
 (平成祭データ)

 焼火神社 たくひじんじゃ 
島根県隠岐郡西ノ島町美田 旧県社。
大日霊貴尊おおひるめむちのみこと(天照大神)を祀る。
 創祀は一条天皇の時代と伝える。後鳥羽天皇の当地遷幸に際して、社頭より火の光が見え無事渡島できたことにより焼火社(焚火社)と称したという。
 また当初は飛来神とも大山権現とも称し、両部神道の影響を受け、境内に雲上寺と称す寺院があったが、廃仏棄釈によって破壊された。海上安全の信仰古く、江戸時代は回船の発達により、特に西廻り航路によってその信仰は広まり、天保期には江戸で三年間に一万の交通安全守が売れたという。
 当社所有のともど舟l隻(重木仕立、チヨウ入り)は国の重要民俗資料、銅鏡は県の文化財、当社神域の植物群は県指定の天然記念物である。
例祭七月二三、四日。当日県持定の民俗芸能である隠岐島前神楽が奉納される。
旧暦一月五日より約一カ月間は春詣祭。当地は風光明媚にして史跡・芸能・文化財が多い。   (神社辞典より))
参拝月日  10/22/2008

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参道の鳥居 社殿全景