高見
(たかみ)
神社
鎮座地
〒805-0016 福岡県北九州市八幡東区高見1−1−1
電話
093-651-5108
御祭神
・天御中主大神
・高御産巣日神
・神産巣日神
・可美葦牙彦遲神
・天之常立神
・國之常立神
・豐雲野神
・天照大神
・天忍穗耳命
・皇孫瓊瓊杵命
・彦穗穗出見命
・鵜萱葺不合命
(配祀)
・大雀命 ・石之比賣命 ・多紀理毘賣命 ・市杵嶋比賣命 ・多岐都比賣命 ・大己貴命 ・豐受姫命
御由緒
高見神社は神功皇后さまの親しく奉斉せられた神社として伝えられ、「高見大神宮御縁起」には高見大神宮と称され、文久二年建立の鳥居の額束にも高見大神宮と刻されて、遠賀、鞍手二郡の郡代役所より奉幣がなされ、御造営には郡の御備米があてられた近郷高見神社の本宮であります。
第十四代仲哀天皇さまは熊襲と朝鮮平定のため筑紫〔福岡〕へ行幸なされましたが、崩御されましたので神功皇后さまみずから神主となり、天神地祇に戦勝を祈られました。天照大御神、住吉大神の「我和魂は玉身に服ひて寿命を守り、荒魂は先鋒となりて師船を導かん」御神託により、新羅、百済、高麗を征伐されました。
岡県主熊鰐は神功皇后さまを山口県豊浦に迎え奉り御船に神籬を立て、三種の神器を奉斎し、洞海湾にお導き申し上げ、帆柱山より師船の船材を調製し、洞海湾に船団を整え、戦勝祈願のため洞海湾岸の小山、大字尾倉字高見〔現スペ−スワ−ルド西側〕に天神皇祖神十二柱をお祀りしたのが高見神社の創始と言われ熊鰐の子孫によって代々祀られました。
宇宙の根元神.むすびの神である造化三神と生成化育の神二神の別天神五柱神代七代の神々の大地形成の神二柱。
日本民族の祖神.皇祖天照大御神と日本民族が天地とともに永遠に続くようにとの天照大御神の天壌無窮の御神勅により三種の神器と高天原の稲穂をいただき、この地上に天降られた天孫降臨、国土平定の神四神の地神五代と言われる五柱。
併せて十二柱の神徳広大、神威無限なる最も尊い御神さまが奉斎されています。
天正十四年大宮司鬼神太夫波多野正善の時、豊臣秀吉公の西国統下に伴い、小早川隆景公の祟敬あつく武運を祈願せられた神社でもあります。
明治二十九年官営八幡製鉄所建設にあたり、高見神社も同所用地となり、明治三十一年尾倉の豊山八幡神社の宮前に御遷座されました。三十七年間同地に鎮まりましたが、八幡製鉄所では高見神社の御神威をかしこみ、守護神御奉斎の気運がたかまり、昭和八年国民の久しく待ち望まれた日嗣の皇子〔平成天皇さま〕御生誕と日本製鉄株式会社創立を慶機として、高見神社御造営を誓い、四季に美しい由縁深き大字大蔵字入地の高見〔現高見町〕に天保三年建立の御社殿を遷し奉り、八幡製鉄所をはじめ
信奉者一同の御奉仕と浄財により、十年の歳月を要して新たに昭和の代表的な総檜木流れ造りの神社が御造営されました。
若宮社は東尾倉に鎮座されていましたが、天正のはじめ相殿として遷し奉られました。
惣御前社は洞海湾の小島、小丸山に鎮座されていましたが、風浪に洗われたため相殿として遷し奉られました。
高見神社御造営の大石垣にこの小丸山の石が使用され、神楽殿入口の手水石は鳥居の台石であります。
歳守社は大字大蔵字河内に鎮座されていましたが、八幡製鉄所河内貯水池となり、高見神社御遷座にあたり合祀の上、相殿として遷し奉られました。
昭和二十四年五月十八日、昭和天皇さま九州御巡幸にあたり、福岡県下の旧官幤社とともに特に御幤帛を賜った神社であります。
以上
(平成祭データ)
参拝月日
08/27/2005
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