高千穂神社(たかちほ) HOME blog

鎮座地 〒882-1101 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037 旧日向国 臼杵郡 
電話  0982-72-2413
旧社格等  村社 
御祭神 ・高千穗皇神
  天津彦彦火瓊瓊杵尊 木花開耶姫命 彦火火出見尊 豐玉姫命 彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊 玉依姫命
(配祀)
・十柱大明神
  三毛入野命 鵜目姫命 太郎命 二郎命 畝見命 照野命 大戸命 靈社命 淺良部命 三郎命
御由緒 高千穂宮御由緒                             
 当宮は初め高千穂皇神(すめがみ)と申しあげてこの地に宮居をさだめられた天孫瓊々杵尊以下三代の神々をお祀りし千百余年前の承和十年に従五位下、天安二年には従四位上の位を授けられたことが六国史にはっきり記されており、日向国で一番位の高い神社でした。
 神武天皇の御兄三毛入野命が高千穂に帰られ神籬(ひもろぎ)をたてて神代御三代をお祭りされたのが初めで、その子孫が長く奉仕されたので後には三毛入野命御夫婦と八柱の御子とを配祀して十社大明神と申し上げました。後更に多くの神々を合祀しています。
 社殿は十一代垂仁天皇の御代の創建といわれ、天慶年間豊後国から大神氏が来て三田井家を興し十社大明神を高千穂八十八社の総社と崇めました。源頼朝は畠山重忠を代参として多くの宝物を奉納し重忠手植の秩父杉は八百年たった今も尚社頭に高くそびえています。文永、弘安の役には勅使が見え、南北朝の頃征西将軍懐良(かねなが)親王御祈願等古記録や宝物が多数残っています。天正年間三田井氏が滅んで延岡領となり高橋、有馬、三浦、牧野、内藤と歴代藩主はそれぞれ社領を寄進し例祭にはたえず奉幣して明治に及びました。
 大正十四年秩父宮御成をはじめ十数家の皇族が参っておられ昭和四十六年七月一目には別表神社 (旧官国幣社) に列せられました。

鎮座地
 宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井字神殿1037番地
御創建
 人皇第十一代垂仁天皇の御宇御鎮座(伊勢神宮と同時御創建と伝ふ)
御祭神
 高千穂皇神
  天津彦火瓊々杵尊    木花開耶姫命
  彦火火出見尊      豐玉姫命
  彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊  玉依姫命  
  
 十社大明神
  三毛入野命       鵜目姫命
   御子 太郎命     照野命
      二郎命     大戸命
      三郎命     霊社命
      畝見命     浅良部命
 合祀神
  事勝国勝長狭神
  大  年  神
  稲  飯  命
  五  瀬  命
  神日本磐余彦命
  猿 田 彦 命
  天 細 女 命
神階社格
 続日本後記第十三巻所載 承和十年九月甲辰 従五位下
 日本三代実録第一巻   天安二年十月二十二日巳酉 従四位上
 明治初期迄       高千穂十八郷八十八社総社
 明治四年七月      延岡県       県社
 明治四年十一月     美々津県      県社
 明治六年一月十六日   宮崎県       村社
 昭和四十六年七月一日  神社本庁 別表神社列格
註 仁明清和の両朝に日向国最高の神階が授けられた
祭儀
 歳旦祭  一月一日    天長祭   四月二十九日
 神楽祭  一月十一日   夏祭    七月二十九日
 捧開祭  二月十一日   荒立宮祭  七月二十九日
 建国祭  二月十一日   四皇子峯高天原祭 体育の日前日

史跡
※ 二上神社と二上峰
  二上峰は日本書記で天孫降臨の槵日二上峰と称する霊峰で男岳、女岳の双峰に分かれ、中腹に
  諾冊二神を祀る二上神社があり此の山には建国の神話に因むもの多数を伝う。
※くしふる峯とくしふる神社
  日本書記の「築紫日向の久志布流多気」とある天孫降臨を伝う峯、この中腹に天孫瓊々杵尊を主
  神として祀るくしふる神社がある。
※天真名井
  天孫降臨の際この地に水がなかったので天村雲命が再び天上に上られ水種をこの地に移されたと
  伝える。
※鬼八塚と八峯九谷
  高千穂神社の御祭神(十社大明神)は巨賊鬼八を討って民生安定の基いを定められた。鬼八は性
  粗暴膂力人にすぐれ、悪逆非道の行いが多く高千穂峡に臨む八峯丸谷の洞穴に住んでいたので、
  大明神これを追い各地転戦これを討ち、五体を切りはなして三ヶ所に埋めた。その一つが神州旅館
  裏に鬼八塚として残る。
※高天原
  天孫降臨後八百万神々この丘に集われ、高天原を遥拝されし処と伝ふ。
※四皇子峰
  うがやふきあへずの命の御子、稲永命、五ツ瀬命、三毛入野命、神日本磐余彦命(神武天皇)
  四皇子の御降誕の地と伝えられ、神功皇后三韓征伐の砌七日七夜の戦捷祈願をこめさせ給ふ地と
  伝ふ。
※国見丘
  この地は神武天皇御出発の砌軍勢を召集遊ばされしところと伝え又御孫建磐龍の命九州統治
  御西下の際この丘で祖宗の神霊を祀り朝夕国見されたと伝える。
  大正十四年、昭和十五年の二回に亘り秩父宮殿下が御登りになり 「我が祖宗の地はこの地か」 
  と仰せられた。
   亦昭和三十年六月高松宮殿下を始め、昭和二十八年八月には常陸宮殿下が御登りになられた。
※天岩戸神社
  天照大神の天岩戸開の神話で有名で東と西に二つの神社がある。
  東宮は天照大神、西宮は天岩屋を祀る拝殿である。附近の天安河原、天浮橋、天御塩、桧原、
  天香久山や天照大神岩屋にこもらせられそのとき、八百万神々神集い神議させたと伝える仰慕窟あり。
※古墳と石器
  高千穂を中心として、横穴古墳多数散在し、石器、土器、曲玉の遺物各所に発見され特に陣内遺
  跡では三千年乃至五・六千年以前の縄文時代の遣物が発見されている。
   吾平山陵外神代三陵もこの地にある。
文化財
※神楽 (文部省無形文化財)
  天岩戸開のうづめの命の舞が起源となって天孫降臨や神代三代の神々の事柄をとり今尚伝承され
  特に秋の夜神楽は集落毎に氏神様を農家に招き夜を徹して神楽を奉納し老若男女夜もすがら楽しむ
  姿はまことに情緒的である。
※棒術、白刃術
  戸田流と真陰流との二流派あり、古来神社の警護に備へたが創始とされ、又一説には江戸より高
  千穂宮に貢物を奉納の際道中の警備に用いたのが始まりと伝へ、その術と作法とは今尚氏子中の嫡
  男に継承され祭典の御神幸に欠くことのできない神事の一つとなっている。
※宝物、天然記念物
  御神像、神面、狛犬、秩父杉
   (神社パンフレット「高千穂宮 御由緒と史跡案内」より)
参拝月日  12/01/2007

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                一の鳥居                                    拝殿