住吉八幡宮(すみよしはちまんぐう)            HOME   blog 

鎮座地 〒759-5331 山口県下関市豊北町大字神田3901 旧長門国 豊浦郡  
電話  0837-86-1925
御祭神  ・住吉大神
 ・神功皇后
 ・應神天皇
 ・仲哀天皇
旧社格等   郷社 
御由緒  当社は、大和時代の仲哀天皇の御代(192~)に神功皇后が三韓出兵の時、「航海安全・海上守護の神として、穴門向津久の対岸、平保台の地に、住吉大神を奉祭して、東門鎮護(東の海上守護)の神とされた(尚この時、西門鎮護は、九州の筥崎の宮とされたが、後の平安時代の延長元年(923)に、長門国赤間関の亀山八幡宮を以って西門鎮守神とするという)。
 こののち、住民の移動と共に奈良時代の養老二年(718)、平保台の住吉大神は長羽山(別名、馬城山・高壷山)の山頂に御遷座された(今日も山頂に巫子屋敷と言う社地が残って土器や瓦が出る。高壷山の住吉大神と鬼の伝説は有名である)。
 その後、鎌倉時代の建久二年(1191)、豊田郡の郡司藤原種弘は、現在の社地に宇佐八幡宮より御分霊を御勧請し、当地御鎮座の住吉大神と合祭し、社名を「住吉八幡宮」と改めた。本社は海上交通安全・海事産業の守護神として、島戸村など八ケ村、即ち、神田郷の総氏神としての社殿を建立した。
 往古、例祭日には神官が拝殿の両方に座し、引受場の氏子に御神久米を渡し、社田の耕作を引き受けさせていた。このため村々に御社田が多く、神田言う地名はこの社田のことから残った地名であると言う。
 明治七年(1874)、特別の由緒を以って郷社に列する。
社殿の造修は、棟礼や社碑や社家文書等によると、鎌倉時代の建久二年(1191)・室町時代の応永五年(1398)・江戸時代の慶安四年(1651)・天保二年(1831) ・明治四十一年(1908)・昭和六十三年(1988)に、それぞれ社殿の建替えや大改修が行われている。
 現在の拝殿は、明治政府の一村一社令により、滝部地区の旧中原八幡宮の古材を以って、明治四十一年(1908)に修築された。そのため、格天井には旧社時代に措かれた一二六枚の絵馬と俳語が残っている。
 (山口県神社誌より)
参拝月日  08/18/2007

写真をクリックしてくださいフォトアルバムに移動します。

             一の鳥居                                       拝殿