全国総本営
水天宮
鎮座地
〒
830-0025 福岡県久留米市大字瀬下町265-1
電話
0942-32-3207
旧社格等
県社
御祭神
・天御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)
・安徳天皇
(あんとくてんのう)
・高倉平中宮
(たかくらたいらのちゅうぐう)
・二位の尼
(にいのあま)
御由緒
1.由来
寿永4年(西暦1185)3月24日壇の浦の戦いの後、高倉平中宮に仕えていた官女按察使局(あぜちのつぼね)伊勢は、千歳川(現筑後川)の鷺野ケ原に遁れ来て初めて水天宮を祀った。この頃は未だ筑肥の界も明らかでなく、ただ荒漠たる原野であったという。今日、川を隔てて下野村があるが、近くの鷺ケ鼻という地名は当時の古名が残ったものであると言われる。
伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷など行っていたが、御霊験のあらたかにして、尊崇するもの日増しに多くなり尼御前と称え慕い、社名を尼御前神社と呼ばれるに至った。
その頃中納言平知盛卿の孫(従四位少将平知時の四男右忠)肥後より千代女を訪ね来てこれを養いその後嗣とした。これが現社家真木氏の祖先である。千代女逝去の後、里人その墓を営み松を植えて千代松明神とあがめ奉った。
同女は大和国(現奈良県)石上布留神社の神官の娘にして、墳墓は久留米市内株式会社アサヒコ−ポレ−ションの正門前に在り、奥津城祭(墓前祭)は毎年春に奉仕されている。
当宮は古来農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、子供の守護神、安産の神として或は病難、火災などの除災招福の御霊験高きを以って聞こえ、畏くも明治天皇御降誕の砌、孝明天皇は当宮へ御祈誓遊ばされ御報賽として御安産の後鳥の子餅を御内々に御献供遊ばされた。かくの如く御霊験あらたかなるを以て、明治元年10月3日禁裏御祈祷所(勅願所)に仰せ付けられた名社である。
2.鎮座
筑後川のほとり鷺野ケ原に建久初年(西暦1190)創建せられ、その後兵禍を避けて諸所に移し、遷御の遺跡と伝えられる所は幾多あり。慶長年間に至り久留米市新町一丁目に遷り、更に慶安3年(西暦1650)9月久留米藩第二代藩主有馬忠頼公は社地と社殿を寄進し現在のところに遷し奉った。
爾来御神威弥増に輝かせ給い、第九代藩主有馬頼徳公殊に尊崇せられ、文政元年11月1日江戸三田の藩邸に御分霊を勧請された。これが現在の東京水天宮である。
このほか、国内、ハワイ等各地に鎮座する水天宮は、すべて当宮を本社とする御分霊社である。
因に当宮境内には幕末の激しい動乱に勤王派の旗頭として、王政復古に一生を捧げた明治維新の先覚者真木和泉守保臣先生(第二十二代の水天宮宮司)を祀る真木神社がある。
(案内パンフレット「水天宮略記」より抜粋)
参拝月日
11/29/2004
一の鳥居
鳥居扁額
東郷平八郎元帥の書
による
約7000坪の
広い境内
手水舎から神門
神門から拝殿
拝殿
本殿
社殿全景
左の木は
小賀玉
(おがたま)
の木
(招霊の木)
紀元2600年記念の植樹
真木神社
真木和泉守保臣命
(みこと)をはじめ明治維新に際し国難に殉ぜられた一門、他を奉斎
真木和泉守保臣先生
の銅像
明治100年記念で建立
千代松神社
水天宮の創始者
按察使局伊勢命
(あぜちのつぼね いせのみこと)
を奉斎
秋葉神社
農耕・文芸の神、
阿遲すき高日子根神
(あじすきたかひこねのかみ)
を奉斎
水神社
水徳の神、
彌都波能売神
(みつはのめのかみ)、
安産の神、
鵜葺草葺不合命
(うがやふきあえずのみこと)
を奉斎
境内から筑後川の景観