篠崎八幡神社                                     HOME blog

鎮座地 〒803-0861  福岡県北九州市小倉北区篠崎1-7-1   
電話  093-581-0674 
旧社格等  県社  
御祭神 ・足中津日古命(たらしなかつひこのみこと) 仲哀天皇
・品陀和氣尊 (ほむだわけのみこと) 応神天皇
・息長足比賣命 (おきながたらしひめのみこと) 神功皇后

(配祀)
・市寸嶋比賣命 ・多紀理比賣命 ・多岐都比賣命 ・玉依比賣命
御由緒  仲哀天皇九年神功皇后三韓から御凱旋の折り、筑紫の宇美にて皇子(応神天皇)を御安産になりました。その翌年穴門の豊浦宮にお向かいになる途中、鷹尾山(当神社の西方約一千メ−トルに在った山)にお登りになり、山頂の大石(後に此の石を力石という)に皇子をお立たせし、遥に菊の長浜や文字ヶ関・穴門(現在の門司・下関)の方向を望み、「穴門が近し」と仰せられ、お懐かしみになりました。
この古事にもとずき、敏達天皇十二年勅命を以て鷹尾山の麓に祠廟を建て応神天皇をお祀り申し上げました。
 これが篠崎神社の起源となっております。

天平二年、宇佐八幡宮により御分霊をいただき「篠崎八幡神社」になりました。
天平十二年、太宰少弐反逆せし時勅命により大将軍大野束人、篠崎八幡神社に祈請し遂に賊軍を破り、神鏡・神馬をご奉納。
嘉祥三年、宮尾山の祇園の森を美しき神域なりと御遷座になりました。今の篠崎八幡神社の地なり。
天慶五年、藤原純友・小野好古の兵火に罹りしばらく御神璽の御筥を守護し今村の高丘に移し奉る。
文治二年、現在地に遷る。
貞和三年、足利将軍尊氏公、本殿を造立。天正六年、大友宗麟の兵火のため本殿を始め古文書・社宝等悉く焼失。
慶長五年、細川忠興公の入国あり、当社の崇敬いと厚く社頭の造営・神領の寄進などあり。歴代藩主の御信仰甚だ厚く、小笠原忠真公・忠総公により本殿・楼門・回廊・幣殿・中門以下表鳥居に至る迄造立する。
隋神門の御額は小笠原忠苗公御筆なり。
 明治六年、郷社となる。昭和二年、県社となる。
 (平成祭データ)
参拝月日  08/27/2005
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              一の鳥居                                      社殿