「式内社」賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) HOME blog

鎮座地 〒606-0807 京都府京都市左京区下鴨泉川町59 旧山城国 愛宕郡  
電話  075-781-0010
旧社格等  宮幣大社(現別表神社)
   山城國一宮 二十二社
   式内社 山城國愛宕郡 賀茂御祖神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗
   勅祭社
御祭神  ・賀茂建角身命
 ・玉依媛命 
御由緒  賀茂御祖神社由緒記
御祭神
 東御本殿 玉依媛命(たまよりひめのみこと)
 西御本殿 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
御神徳
 賀茂建角身命を『日本書紀』『古事記」では、金鵄八咫烏として表し農耕をひろめ民生の安定に努められた御功績を伝えているとこ ろから世界平和、五穀豊穣、殖産興業、病難方厄除けなど他方面に御神徳を顕しておられる。
 御子神であられる玉依媛命は、「風土記』山城国逸文に婦道の守護神、 縁結び、安産、育児さらに水を司る神として御神威を伝えている。
創祀
 「日本書紀」神武天皇二年(BC六五八ごろ)条に当神社の御祭神賀茂建角身命を奉斎していたことが記されている。また当神社の最古の 祭りである御生神事(現在の御蔭祭)が綏靖天皇の御代(BC五八一ご ろ)に始められたこと、崇神天皇七年(BC九〇ごろ)瑞籬の造替、垂仁天 皇七年(BCニ九ごろ) 御神宝が奉られたこと、成務天皇のころ(一三一 ごろ) 神官に鴨県主の姓を賜るなどの所伝によって二千年以前に創始され たとされている。
社名
 正式名称の賀茂御祖神社の「かも」は、古代の国名であり、文字 も「鴨」のほか様々に用いられていたが大宝年間のころ(七〇〇ごろ)から 「賀茂」となった。また地勢的にみて鴨川の下流にまつられているところから 下鴨神社と通称で親しく呼ばれるようになった。
社殿及び境内
 全城が世界文化遺産に登録されている。
東西両本殿二棟は国宝。幣殿、出雲井於神社等五十三棟が重要文化財のほか主要社殿十九棟。境内糺の森約十二万平方メートルは国指定の史跡となっている。
主な祭事
 五月十五日 葵祭、御蔭祭、流鏑馬神事、土用のうしの日 御手洗祭、立秋の前夜 夏越の神事、中秋名月管絃祭、正月 歲旦祭、けまりはじめ、節分祭
名所旧跡
 賀茂斎院御所旧跡 鴨社神宮寺旧跡 御手洗川 奈 良の小川 瀬見の小川 泉川 連理の賢木 何でも比良木 切芝等
主な歴史
 欽明天皇五年(五四四) 葵祭を始められる
 白鳳六年(六七七)   官営神社となる
 延曆三年(七八四)   長岡京遷都により告文
 延曆十二年(七九三)  平安京遷都により告文
 弘仁元年(八一〇)   賀茂斎院の制
 承和十一年(八四四)  当神社の四至制定
 元慶四年(八八〇)   平安京大極殿完成により告文
 天禄二年(九七一)   関白賀茂指定例の制
 長元九年(一〇三一)  式年遷宮の制
 承保三年(一〇七六)  行幸式日の制
 応德三年(一〇八四)  院·上皇·法皇御幸の制
 治承三年(一一七九)  参籠御幸の制、等々
   (楼門前由緒掲示板)


 賀茂御祖神社(下鴨神社)
平安時代以前から存在する京都で最も古い神社の一つで、平成六年(一九九四)に世界文化遺産に登録された。
 上賀茂神社の祭神である賀茂別雷神の母の玉依媛命と玉依媛命の父の賀茂建角身命を祀る ことから、正しくは賀茂御祖神社といい、上賀茂神社とともに賀茂社と称される。
 平安遷都(七九四) 後は王城の守護神として、朝廷をはじめ公家や武家の崇敬を集め、弘仁元年(八一〇)以降、約四百年にわたり、斎院(斎王 の御所)が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。
 江戸末期の文久三年(一八六三)に造替された 東本殿と西本殿が国宝に指定されているほか、 多くの社殿が重要文化財に指定されている。
 また、約十二万四千平方メートル(東京ドーム の約三倍)に及ぶ境内の自然林は「糺の森」と して市民に親しまれ、平安京以前の原生林を残す貴重な森林として国の史跡に指定されている。
 毎年五月十五日には、京都三大祭の一つであ る葵祭が行われ、御所から当神社を経て上賀茂神社まで向かう行列が、都大路に王朝絵巻を繰 り広げる。また、五月三日の流鏑馬神事や七月 の土用の丑の日に行われる御手洗祭などもよく 知られている。
  京都市
     (参道入り口の案内板)

 
参拝月日  08/22/2008

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南口鳥居 楼門