椎根津彦神社(しいねつひこ)          HOME blog

鎮座地 〒879-2201 大分県大分市佐賀関1812 旧豊後国 海部郡 
電話  
旧社格等  県社 
御祭神  ・椎根津彦命(しいねつひこのみこと)
(合祀)
 ・武位起命(たけいこのみこと)
 ・稻飯命(いなひのみこと)
 ・祥持姫命(さかもつひめのみこと)
 ・稚草根命(わかかやねのみこと)
御由緒  神武天皇は、大歳甲寅(西暦紀元前667年前)東遷の為、日向国を出発せられその年の十月、当地速吸の瀬戸において珍彦命の奉迎を受け、命に御名を椎根津彦と賜わる。
 椎根津彦命は当地より、水先案内として皇軍に従軍し、屡々勲功をたて、建国の偉業達成の為に盡瘁せられた。
 皇紀二年(西暦紀元前659年)春二月、天皇は論功行賞を行ない、椎根津彦命を倭国造に任ぜられた。(日本書紀)これを伝え聞いた当地の里人たちが、小祠を建てて命を祀ったものがその創祀と伝えられる。

慶長五年(西暦1600年)兵火により社殿焼失
元禄三年(西暦1690年)総庄屋関久右衛門、社殿再建
寛延元年(西暦1748年)総庄屋関弥平太、東町別当役牛窓屋喜右衛門、大工頭領佐藤甚八に依頼し、その規模を整える。
寛政元年(西暦1789年)牛窓屋久右衛門 社殿再建
明治六年 県社に列せられ、社名、珍宮(うずみや)を椎根津彦神社と改称
明治十二年 神殿、拝殿造営
大正二年 拝殿改築
昭和九年 神輿大修理、社務所新築
昭和十二年 神幸所新築
昭和二十六年 台風の為、申殿、渡殿倒壊
昭和二十七年 申殿、渡殿再建
昭和二十九年 飛火の為、神殿焼失
昭和三十年 神殿再建
昭和三十六年 神輿大修理
昭和三十九年 神幸所改築
昭和四十五年 拝殿改築、神幸所増築、境内参道整備工事を行い今日に及ぶ。

 合祀の・武位起命は彦火々出見命の御子、鵜草葦不合尊の御昆弟で椎根津彦命の御父
    ・稻飯命は鵜草葦不合尊の御子で神武天皇の御兄
    ・祥持姫命は椎根津彦命の御姉で稻飯命の御妃
    ・稚草根命は稻飯命、祥持姫命の御子と伝えられ合祀の年代は詳らかでない。

境内地  1,188坪

祭日   1月 1日 元旦祭
     2月 25日 祈年祭
     4月 24日 宵祭
     4月 25日 例祭、神幸祭
     4月 26日 還幸祭
     11月 25日 新嘗祭
毎月 25日 月次祭
(拝殿内案内板より)
参拝月日  08/10/2007

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                一の鳥居                                   拝殿