式内社 織幡神社(おりはた)      HOME blog

鎮座地 〒811-3512 福岡県宗像市鐘崎字岬224 旧筑前国 宗像郡  
電話  
旧社格等  県社 
 式内社 筑前國宗像郡 織幡神社 名神大  
御祭神  ・武内大臣
 ・志賀大神
 ・住吉大神
 ・天照大神
 ・宗像大神
 ・八幡大神
 ・壹岐眞根子
御由緒  延喜式名神大社(旧県社)祭神武内宿祢神、住吉大神、志賀大神、武内宿祢公は神功皇后と謀りて此地で赤白の軍旗を織られ軍船に立て異賊を平定(コトムケ)られ応神天皇の御時筑紫国を治められる此の鐘の岬の佳境を慕はれ此地は本朝無雙の霊地なり此の風景に飽くことなし我れ死なば神霊を此地に祭祀るべし国家安穏の守護神とならんと申され仁徳天皇の御代三百余歳にて双つの沓を遺こされ神去りましたので此地に沓塚を建て号を織幡神社と稱へ社を建てられました以来富貴長命航海安全の守護神と篤く尊崇されています霊験尊く参拝後をたたず
 万葉集七 よみ人不知
千早振るかねの御崎を過れ共 我は忘れず志賀の皇神。 
(平成祭データ)

 織幡宮
一、祭神 武内宿祢 住吉大神 志賀大神
二、縁起
 平安初期、朝廷の年中儀や制度などの事を書いた”延喜式”の中に、日本中の神社が記してあります。織幡宮は、筑前十九社の第二番目に記され、宗像郡内でも、宗像大社に次ぐ神社として記録されています。 その昔、文字を持たない時代から、古代の人々は、山の神、海の神、岬にも神霊を感じて航海安全を「ちはやぶる神の岬」として祈った時代もあったと思われますし、織幡宮は武人、武内宿祢を鎮護国家の備えとして、交通要衝 鐘崎に祀ったといわれています。 古文書に、元禄八年(一六九五年)社殿造立。元禄十六年(一七〇三年)拝殿成就と記され、古い歴史がしのばれます。
 平成八年四月一日
  (参道案内板より)
参拝月日  07/15/2006
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              一の鳥居                                拝殿