尾張國一の宮「式内社」大神神社(おおみわ) HOME blog

鎮座地 〒491-0914 愛知県一宮市花池2-15-28 旧尾張国 中島郡    
電話  0586-45-5846(宮司宅)
旧社格等  郷社 
 尾張國一の宮
 式内社 尾張國中嶋郡 大神神社 名神大   
御祭神  ・大物主神
御由緒   尾張國一之宮 大神神社の由来

鎮座地 愛知縣一宮市花池二丁目十五番ノ二
    「旧鎮座地愛知縣一宮市大和町宮地花池字西屋敷
社格  延喜式内社 旧郷社
祭神  大物主神

 崇神天皇の御代、疫病が流行したときに天皇が祀った神々の一柱。大和の國一の宮大神神社の祭神で、三輪の神とよばれ、大國主神 (大國様)の別名がある。
大和の大神神社と同じく、大和系の人々が三輪の神を祀ったことにはじまるといわれる。鎮座地の花池は水が美しく、蓮田が多く、毎年熱田神宮に奉納する蓮が咲く沼であった。
 奈良時代に國司が赴任して、國中の神社を代表として國府宮の、尾張大國霊神社を尾張の總社に指定、次いで花池の「大神神社」と、真清田神社をまとめての「相殿、対の宮」、と言うことで「尾張の一の宮」に指定した。 「文徳実録」「尾張國帳」には従一位大明神とあり三宮明神 三明神(神宝して珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
 尾張の國中には、大名神八座・小一二三座あって、当時の大名神八座の内の一座である。

例祭日 十月十日
御神徳
 産業開発・五穀豐熟・無病息災・方除け・縁結び
境内外摂末社 六所社・三島社・白山社・神明社・招魂社・素戔嗚社
境内地坪数 五一八四㎡
主な祭典 新年祭・田打祭・祈年祭 新嘗祭・湯ノ花祭・年越祭
構築物 神馬(九尺)
宝物 木造狛犬(高サ二尺) 一対、市文化財指定 神宝刀剣三振 (市博物館に保管)
 
  尾張國一之宮大神神社 山田宮司
             (境内由緒掲示板)

神社の御由緒・沿革
 ここ尾張地方は、木曽三川の河口部に開けた、広大な沖積平野。川が入り乱れて、網の目のような低湿地。葦の生え茂った、大きな梁から転じて大梁・尾治・尾張になったとも言われている。
 人が住み着き集落ができ、弥生時代から古墳時代にかけて、邪馬台国から大和の国の頃、次第に東に「開拓」が進み、ここ「花池」にも大和系(三輪族)の人々が大物主神を祀る「大神神社」を建て、祖先を祀り日々の安泰を祈り、団結のシンボルとして神社を中心にして部族を発展させた。
 一方、神武系の人々は、真墨田神社(後の真清田神社)を相殿という形で建てて「天火明命」を祀った。
また、奈良時代に国司が赴任して、国中の神社を代表として国府宮の「尾張大国霊神社」を尾張の「総社」に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張一の宮」に指定した。
 嘉祥三年(八五〇)「文徳実録」「尾張国帳」には、従一位大名神とあり、三宮明神・三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年(九二七)延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
 尾張の国には、大名神八座・小一一三座あって、当時の大名神八座の内の一座である。
昔の花池村は「三輪氏」一族の地方だった故か?三輪郡・大神郷・熱田の庄蓮池と言われ、各所に白蓮が咲いていたとかで「蓮池」そして「華池」「花池」となり今日に及ぶと、伝えられている。

宮司所感
​ 沿革由緒より考えれば、推測しがたいほど遠い祖先より引き継がれ、今日に至っております。
​  私達も又祖先と同じように、私達の産土の大神、私達の守護神、併せて私達の心の拠り所として、或いは私達の共同の資産であり、遺産となるこの神社を、
 いつまでも大切にお守りして私達の子孫に伝えたいと思います。 
   (神社パンフレットより抜粋)
参拝月日  04/01/2009

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拝殿 本殿