宮原両神社(みやのはるりょう)          HOME blog

鎮座地 〒869-2501 熊本県阿蘇郡小国町大字宮原1670 旧肥後国 阿蘇郡 
電話  0967-46-2649
旧社格等  県社 
御祭神 ・高橋神
・火宮神
(配祀)
・雨宮大明神、他
御由緒   小国両神社御由緒略記
   熊本県阿蘇郡小国町大字宮原一六七〇番地

御祭神
  高橋大神(たかはしおおかみ)
  火宮大神(ひのみやおおかみ)
  雨宮媛命(あまみやひめのみこと)
  御妃神二座・御親族の神十六座奉祀
神系図
  神武天皇ー神八耳命ー健磐龍命(阿蘇大明神)ー
   阿蘇国造大神
    速瓶玉命ー  |ー彦御子神(阿蘇大宮司家祖神)
         |―|ー高橋神 (両神社主祭神)
    雨宮媛命ー  |ー火宮神 (両神社主祭神)

御神徳
  生活守護 農林諸業繁栄・祈雨祈晴・火防・縁結び
  武徳必勝・開運厄除 元寇の役で軍将北条公戦勝の祈願や、北里氏祖の綿貫石開運勝利の故事に
  よる。
御由緒
  杜記によれば、太古の昔、高橋神・火宮神のご兄弟は、父祖阿蘇大神より小国郷開拓の命を受け
  農耕を起こし、衆庶に衣食住や殖産興業等の生活根源を教え、郷土開発先駆の多大な功績を残さ
  れた。このご聖徳と、ご功業を敬仰し、第十六代仁徳天皇の御代に高橋大神を祀り、第十八代反
  正天皇の御代に火宮大神を祀り、これより両神社(りょうじんじゃ)の御社名が始まったと伝わ
  る古社である。
特殊神事
  一、御衣更神事 一、古伝の神饌 一、すがもり神事
社殿建物
  社司年代記に、平安朝の天暦元年や鎌倉時代の弘安四年造営、応仁・文明の後、兵乱相続き社殿
  廃毀焼亡とあり、古文書も焼失のため詳細は不明なり。
  本殿は元禄二年(西暦一六八九年)再建す。大正二年改築のため宮山を切り開き本殿を解体移築
  し、拝殿、楼門を新築す。
  平成三年十九合台風のため倒伏の杉大木により、楼門倒壊、本殿屋根、社務所大破するも平成九
  年十月再建竣功す。
祭典 
 十月十四日 御本祭高橋大神祭および献幣式 
 十月十五日 御本祭火宮大神祭
 十月十六日~十八日 御神幸祭
 十月十九日 御遷座祭

平成九年十一月吉辰
 小国両神社 第二十六代宮司 XXXX 撰文
               XXXX 謹書
 (境内由緒掲示板より)

  両神社と富くじ
 江戸時代の文政元年(西暦1一八一八年)より両神社で「富くじ」を行うことが許された。
この頃、宮原上町(現在の一番街)で造り酒屋を営む湊屋橋本順左衛門は、毎朝早起きして井川(現
在のけやき水源)で手を洗い身を清め太古から湧き出る水を祀る水神様に自然の恵みを感謝した。そ
して小国郷の氏神である両神社へ参拝し、天下の太平と商売繁盛を祈ることを日々の勤めとしていた。
 ある日の朝方、湊屋順左衛門は、けやき水源に小さな舟が流に逆らい入る夢を見た。湊に舟が入る
ことを吉兆と感じた、順左衛門は「富くじ」を買い、見事に大乙〔一番くじ〕を当てた。
湊屋順左衛門の正夢の話を聞いた郷内城尾村市郎右衛門は、毎朝、一里の道をけやき水源に通い水神
様と両神社に「一番くじ」を願って祈り続け心願成就し、両神社富くじと久住宮富くじに四回大乙〔
一番くじ〕を当てたのである。
 このことから、両神社の高橋宮・火宮の二祭神は「千両・万両の神様」と呼ばれるようになった。
その後富くじは年毎に盛んになり、嘉永より安政年間までの十年間に七十六回も行われたと古文書に
記載されている。
 明治維新となり、両神社の富くじは無くなったが、今も祈願者に開運招福を授けて下さるのである。

  平成十五年十二月 小国町商工会
(境内案内板より)
参拝月日  10/12/2007

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                一の鳥居                                   社殿全景