中山神社                                           HOME blog

鎮座地 〒751-0849  山口県下関市綾羅木本町7丁目10−8 
電話  0832-53-0704  
御祭神  ・中山忠光
御由緒  中山忠光朝臣命は、弘化二年四月十三日従一位大勲位中山忠能の五男に生まれ、明治天皇の御生母中山一位局は姉君であり、従って忠光朝臣命は明治天皇の叔父にあたる。忠光朝臣命は忠誠の気節に富み、皇室の式徴を歎き式門の専横を憤ること一層鮮烈であった。文久三年八月天誅組の主将として大和義挙により明治維新偉業の端緒をつくられたが、幕府軍の為に敗走して下関に足を止め、勤皇の志士と交わり大いに活躍中、元治元年十一月八日夜豊北町田耕字長瀬に於て 俗論党の凶手に倒れ悲惨な最期を遂げられた。凶徒は尊骸をその夜の内に約二十八キロ離れた、当神社松林までひそかに埋葬し、此を奇兵隊が探知して当初木の墓標を建てた。慶応元年十一月豊浦藩は社殿を造営し英霊を祀ったのが当神社の創立である。
 その後忠光朝臣命の精神は多くの勤王の志士を奮い立たせ明治維新の大業は遂行されたのである。
墳墓は社殿右側の丘に有り、記念館には遺品、遺墨が保存してある。
また、境内には御祭神のひ孫にあたる満州国皇弟愛新覚羅溥傑夫人である浩命をお祭りしております。
(平成祭データ)
参拝月日  10/06/2005


一の鳥居

楼門

天松門

楼門から拝殿

手水舎

拝殿

境内には松林が茂る

本殿


愛新覚羅社
満州国の最後の
皇帝・愛新覚羅溥儀の
弟である愛新覚羅溥傑
とその妻の浩

(忠光のひ孫)を祀る

境内社

岐阜県から奉納された
「さざれ石」


中山忠光の墓
「藤原忠光」とあるが
藤原は中山家の祖先