鎮座地 |
〒751-0805 山口県下関市一の宮住吉1-11-1  |
電話 |
0832-56-2656 |
旧社格等 |
官幣中社 現別表神社
長門国一の宮
式内社 長門國豊浦郡 住吉坐荒御魂神社3座 並名神大
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御祭神 |
第一殿 住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)荒塊
第二殿 応神天皇(八幡大神)
第三殿 武内宿祢命(高良明神)
第四殿 神功皇后(息長帯比売神)
第五殿 建御名方命(諏訪明神) |
御由緒 |
住吉大神は神代の昔、伊弉諾尊が、筑紫の日向の小戸の橘のAWAGI原で禊除をされ、黄泉国の穢れをお清めになった時、出現された神であります。
仲哀天皇の九年、神功皇后さまが新羅国を征討されるため、自ら神主となって斎宮に入り、天神地祇に戦勝をご祈願になった時、再びあらわれて、「吾和魂は玉身に服いて寿命を守り、荒魂は先鋒となりて師船を導かん」とお教えになりました。
皇后さまはその神託のまにまに進軍し、ご神助のもと、 刃に血ぬらさずして新羅をご征討、続いて高麗、百済の両国をも降伏させて凱旋されました。
凱旋ののち、「吾荒魂を穴戸の山田邑(現在地)に祀れ」との御神誨を仰ぎ、神恩奉謝のため、この地に祠を立てて、住吉三神の荒魂をお祀りになり、穴戸直の祖践立を神主として奉仕させられました。
これが住吉神社の起こりであります。
下って醍醐天皇の延喜の御代、式内社として名神大社に列し、続いて長門国一の宮と仰がれ明治の御代に及び、同四年に国幣中社に列格、同四十四年官幣中社にご昇格になりました。
戦後は制度が改まり、神社本庁所属の別表神社として、そのご神威はいよいよ高く、ご神徳はますます赫々で、お祓の神、産業興降、水陸交通の神、開運長寿の神、また文道風月の神として霊験いちじるしく、上下一般の広く深い崇敬をおうけになっております。
海遠く月をも西にあふぎつつ 筒の男の神の昔をぞ思ふ (藤原季種)
うき雲のおひ風まちて天の原 神代に照らせ日のひかりみむ (今川貞世)
やはらげる光もらすなしらなみの 檍原にいでし月影 ( 同 )
以上の信仰は神代より上代中世を通じて、現在に至るまで、絶えることなく、強く生き続けております。
(平成祭データ) |
参拝月日 |
01/07/2004 |