足立山妙見宮ー上宮 御祖(みおや)神社        HOME blog

鎮座地 〒 福岡県北九州市小倉北区大字足原1-1(妙見山山頂)   
電話  093-921-2292(社務所)
旧社格等  県社  
御祭神 ・天之御中主神
・高皇産靈神
・神皇産靈神
御由緒 本宮は、国体擁護大忠臣贈正一位和気朝臣清麿公の創祀にかかる、全国唯一の神社である。
称徳天皇の神護景雲三(769)年太政大臣法王弓削氏道鏡、反乱をおこした。公は、勅命をうけて、宇佐神宮に使いとして行き、平常の京に帰り、神のおつげを天子に申し上げた。神託=我が国は開闢以来君臣の分自ら定まる。臣を以て君となすこと未だこれあらず。天日嗣は必ず皇緒を以てこれをつがしめよ。無道の人は宜しく速やかにこれを掃蕩すべし。=を奏上する。道鏡大いに怒って、公は足の筋を切られて、鹿児島へと流され、その途中宇佐の海浜の和気村にたどりついた。
 十月三日猪に乗って再び宇佐の神前を詣り神のおつげを受けた。神馬をかりて、規矩郡竹和山(小倉足立山)のすそにある石川村(湯川町)に十月五日の夕方に着いた。
 現在の竹馬川は、神馬の着いた場所であり、その着場からおこった地名である。
足立の古名・竹和山も着場から転化したものである。霊泉に入り、十月六日になって、筋を切られた足がたちどころに治った。足が立つ、足立の名の起こりともいわれている。足立は、もと安立とも、安達とも、足起とも誌されている。
 さて、公は自ら十月八日足立山にのぼり、北辰尊星妙見又は、虚空蔵菩薩に、天皇の御血統が安泰であり、反逆者がいなくなるように祈った。十月十五日の未明に、造化の天神があらわれ、「汝の願い、ききいる」とのおつげがあった。翌年光仁天皇宝亀元(770)年天皇の御血統に安泰し、妖人道鏡は下野国に流され、公は平城の京に呼び返された。
 よって公は、四男磐梨妙運を造化天神降臨の地に送り、足立山妙見宮を、十月十五日に創立した。
宝亀三(772)年国司・大伴百世の助けで、葛原蜂が坂の足立に、下宮、足立山平愈寺した。
 嵯峨天皇引化(817)年、公の三男参議真綱卿が、宇佐の勅使としての帰り、下宮に父、清麿公及び、その祖先の神霊を合わせ祀った。
慶長六(1601)年、下宮を現場(妙見)に移した。
明治以降、足立山妙見宮並びに足立山平愈寺を御祖神社と改称し、昭和二十年以降足立山妙見宮を再称し、
且つ全国妙見総本宮と追称し、現在に至る。
以上
 (平成祭データ)
参拝月日  11/13/2004
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             参道入口の鳥居                             拝殿から本殿