| 鎮座地 |
〒509-3505 岐阜県高山市一之宮町5323 旧飛騨国 大野郡  |
| 電話 |
0577-53-2001 https://minashijinjya.or.jp/ |
| 旧社格等 |
国幣小社 (現別表神社)
飛騨國一の宮
式内社 飛騨國大野郡 水無神社 |
| 御祭神 |
・御歳神
(配祀)大己貴命 三穗津姫命 應神天皇 高降姫命 神武天皇 須沼比命 天火明命 少彦名命
高照光姫命 天熊人命 天照皇大神 豐受姫大神 大歳神 大八椅命 |
| 御由緒 |
参拝のしおり
古来、飛騨国一ノ宮として名高く、創始年代は神代にありと社伝にもあるが詳らかではない。史上にあらわれるのは平安初期、貞観九年(867年)神位を授けられた記事にはじまる。
中世鎌倉時代には社領は付近十八ケ村に達し、社家十二人と社運が隆盛であったが、戦乱にかかわって荒廃をみた。江戸時代に入って歴代の領主、代官、郡代(天領時代)の尊崇をうけ、また、一般の厚い信仰にささえられ、明治四年五月十四日、太政官布告によって国幣小社に列せられ、昭和十年より国費をもって十年の歳月を要する造営がなされ今日の社殿が完成した。
昭和二十一年二月官制廃止後は神社本庁に所属し現在におよぶ。社名の水無は『みなし』(水成)または、『みずなし』とも読み、俗に『すいむ』と音読することもあるが、水主の意味である。社前を流れる宮川の川床があがり、流れは伏流して水無川となり、水無川、水無瀬河原、鬼川原(覆ケ川原)の地名となっている。この宮川の源流位山は日本を表裏に分ける分水嶺になっており、水主の神の坐す神体山として当神社の奥宮と称している。この霊山には一位(櫟)の原生林があり天然記念物とされ、平治元年(1159年)には飛州一宮神主から位山の一位の御笏を献上したことがみえるのをはじめ、一宮神領、位山の一位をもって謹製した笏を歴代天皇御即位に献上するのが例となって今日に至っている。
以上
(平成祭りデータ)
飛騨一宮水無神社略誌
一、御祭神
水無神 御歳大神を主神として
相殿 大己貴命、神武天皇、応神天皇 外十一柱
末社 延喜式内外十八社及び国内二十四郷の産土神
一宮稲荷、白川社(御母衣ダム水没の白川郷より奉遷)
一、御由緒
神代の昔より表裏日本の分水嶺位山に鎮座せられ、神通川、 飛騨川の水主、また水分の神と崇め農耕、殖産祖神、交通の守護 (道祖神)として神威高く延喜式飛騨八社の首座たり。
歴代朝廷の崇敬厚く、御即位、改元等の都度霊山位山の一位材を 以って御用の笏を献上する。
明治維新、国幣小社に列し、旧来より飛騨一宮として国中の総社(総座) なり。本殿以下二十余棟建坪凡七百坪は昭和十年起工、国費を以って改築せらる。
飛騨はもとより美濃、越中、木曽に及んで分社、縁社二十余社を有する。
一、祭祀
例祭 五月二日神幸祭、当社醸造の公認濁酒どぶろく授与、神代踊、其の他奉納
節分祭 二月節分の日、追儺ついな神事
生ひな祭 四月三日、日本唯一の生びな行列の供奉は圧巻
夏越祭 六月三十日、大祓式、茅輪潜に神事
除夜、元旦祭、年越詣
一、特殊神事
(一)神代踊、当社にのみ現存する独特の神事にして毎年五月の 例祭及試楽祭に神社前と御旅山で行は れ無形文化財とし て指定せらる。
(二)闘鶏楽、飛騨国中の神社にて特殊神事として行はれているも 往古当社より伝授されたるものなり、神 代踊と共に氏子達百 五六十人が揃いの衣裳を着け、円陣をつくり踊る古風幽雅な神事なり。
一宮神楽、雅楽に類するもので国中各神社へ伝授する。
(三)一宮獅子、例祭、試楽祭のみ奉仕する。
(境内案内板より) |
| 参拝月日 |
05/16/2009 |