鎮座地 |
〒801-0854 福岡県北九州市門司区旧門司1丁目7-18 旧豊前国 企救郡 ![](mfweb.gif) |
電話 |
093-321-0944 |
旧社格等 |
郷社 |
御祭神 |
・應神天皇
・神功皇后
・市寸嶋比賣命
・多紀理比賣命
・多紀津比賣命
(配祀)品陀和氣命 息長帶比賣命 綿都美命 櫛名田比賣命 須佐之男命 天之忍穗耳命 天之菩卑命
天津日子根命 活津日子根命 熊野久須毘命 (合祀)事代主神 高淤加美神 闇淤加美神 彌都波能賣神
大山津見神武内宿禰 大國主神 伊邪那岐神 伊邪那美神 仁徳天皇 |
御由緒 |
御由緒
大阪大成館版部
清和天皇の貞観2年(皇紀1520年西暦860年)大宰大弍清原真人岑成、勅命により、西門鎮護の要津門司の霊峰筆立山麓の地を卜して宇佐神宮の御分霊を祀り、神功皇后御着用の御甲を御神霊(御神体)に奉じて当社を創建す。故に甲宗八幡と称し奉る。
祭主は宇佐神宮初代宮司大神比義を始祖とする第23代大神宮司家は祖先に遣唐使を出したる家柄にて、門司が当時朝鮮・中国大陸との国際交流の要衝なるにより、義勝以後歴代の宮司は五摂家近衛家より門司ヶ関の関守に任ぜらる。
創建以来源範頼、同義経、足利尊氏、毛利元就の造立あり。幾度か兵火の厄に遭うも、小笠原忠真、毛利広封等の造復を受く。更に慶長年間細川家より神領の寄進あり。寛永9年小笠原候入国に際しては、当社を豊城鎮守五社の上位に列し、毎年幣帛を贈るを例とするなど、日本精神の具現、文化啓蒙、産業改発、交通安全の神として、歴代将軍、領主等の尊崇篤く、また小倉紫川と曽根竹馬川を結ぶ線の以北の大都と門司一円の総氏神として、古来庶民の崇敬もまことに篤し。
昭和32年特に別表神社に昇格、同33年の大祀には50年に1回と定められたる御神体拝観の儀ありたり。
文治元年源範頼、源義経社殿造立、建武3年足利尊氏造立、永禄12年大江元就造立、慶安2年小笠原忠真造立、明治元年毛利広封造立、古老伝に言う、貞観年中御鎮坐の時皇后の御甲を神璽と鎮め永く外国をして朝せしむる。皇国西門と言うを以て、外朝西門鎮守と号し、玉と其時社前の磯に巨石三つあるに、三つの綱を括付け、三韓の朝貢は此の石の天に上る迄、貢船絶えず、皇国の西門に繋し事を祝したり、之を三綱石と名付く。其の巨石の上に付したる螺(にな)を取りて、甲宗宮大祭に奉るは、三韓をして螺の如く頭を垂れ、尻を上げて皇国に仕奉るに表せり。中古三綱石を螺石とも言う。海岸埋築市街地となるを以て、現今境内に装置す。明治5年郷社となる。
以上
(平成祭データより)
註:文治元年(1185年)、建武3年(1336年)、永禄12年(1569年)、慶安2年(1649年)
明治元年(1868年) |
参拝月日 |
11/04/2005 |