鎮座地 |
〒063-0811 札幌市西区琴似1条7丁目1番30号 |
電話 |
(011)621-5544 |
旧社格等 |
郷社 |
御祭神 |
・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
(配祀)
・豊受大神(とようけのおおかみ)
・大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)
・武早智雄神(たけはやちおのかみ)旧藩祖臥牛城主(宮城県亘理)伊達藤五郎成実公
・土津霊神(はにつれいしん) 旧会津藩祖・保科正之公(平成6年5月 合祀) |
御由緒 |
北海道に明治2年開拓使庁が設けられて、明治8年開拓使最初の屯田兵(開拓者)として琴似に入植した240戸の人々の有志は、旧藩祖臥牛城主(宮城県亘理)伊達藤五郎成実公の遣徳を敬慕し、武早智雄神と尊称して山の手(山の手2条1丁目)に東面して神祠(現報徳神社社殿)を建立し、御神徳を北海道開拓の上に顕彰するために武早神社と号して祭祀を厚くいたされたのが琴似神社の創始であります。
明治30年その鎮座地を山の手水上通り入口西角に移し、神祠を移築して本殿とし、更に崇教者の奉仕によって幣殿、拝殿(現祖霊殿)を造築して琴似神社と改称申し上げ、明治44年人々の調和と福寿の守護神であり、国土開拓の神として仰がれる大国主大神を御増祀いたして、殖産の道に氏子の繁栄に心のよるべといたされたのでありますが、御鎮座地は更に中心部現在地に移され、社殿移設の工が全く完了した大正4年、村社格いたされ爾来人々の崇敬愈々篤く、昭和11年社務所(現職舎)の竣工を始め紀元二千六百年を記念した境内地の大改修と共に昭和19年9月1日社格を郷社に昇格いたされ、昭和22年例祭に際しては御神輿の初渡御が行われ、境内の諸施設と神賑の盛大を極め、昭和26年衆議を催して御社殿の御造営に着手し昭和28年11月御造営竣工して21日正遷座祭を斎行したのが現在の社殿であります思うに北海道開拓の業は、その後全道37ヶ兵村に及び北海道開拓の基盤が開かれたのでありますが、その始祖である琴似屯田の人々は琴似神社として御改称の節、主祭神として伊勢神宮内外宮の神々を奉斎すべく熱望いたされたのでありますが、開道百年を迎えた昭和43年神社の諸施設ほぼ整い、両宮の神々を御増祀申し上げて開拓先人の遺志をここに実現いたすことと衆議の決定を見、大神宮の特旨を仰いで同年10月28日特別神璽拝受翌29日北海道知事町村金五総裁を、北部方面自衛隊第11師団長藤井一美副総裁を夫々奉仕して、祭神増祀臨時大祭を斎行いたし、大祖先の神々の民族主成発展への御理想を欣仰いたしつつ今日に及んで居ります
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(平成祭データ 由緒より)
沿革
明治08年(1875) 武早神社創建
祭神:武早智雄神(旧亘理藩(宮城県)藩祖伊達藤五郎成実公)
鎮座地:山の手2条1丁目
明治30年(1897) 鎮座地を山の手水上通り入口西角に移し、琴似神社と改称
明治44年(1911) 大国主大神を御増祀
大正04年(1915) 現在地に遷座、村社に列格
昭和11年(1936) 社務所(現職舎)竣工、紀元二千六百年を記念した境内地の大改修
昭和19年(1944) 郷社に昇格
昭和26年(1951) 御社殿の御造営に着手
昭和28年(1953) 11月 御造営竣工(現在の社殿)
昭和43年(1968) 開道百年、伊勢神宮の特旨を仰いで特別神璽を拝受、両宮の神々を御増祀
平成06年(1994) 旧会津藩(福島県)藩祖保科正之公、土津霊神を御増祀、
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参拝月日 |
02/07/2005 |