鎮座地 |
〒629-2242 京都府宮津市字大垣430 旧丹後国 与佐郡 |
電話 |
0772-27-0006 |
旧社格等 |
国幣中社 (現別表神社)
丹後國一の宮
式内社 丹後國與謝郡 籠神社 名神大 月次新嘗 |
御祭神 |
・彦火明命
(配祀)
・天照大神 ・豐受大神 ・海神 ・天水分神 |
御由緒 |
お伊勢さまのふるさと
丹後国一宮
元伊勢籠神社のしおり
古稱 吉佐宮
御祭神
奥宮 眞名井神社
豊受大神・天照大神・伊射奈岐大神
伊射奈美大神・罔象女大神
本宮 籠神社
主神——天照國照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)
相殿——豊受大神・天照大神・海神・天水分神
攝社——恵美須社・天照大神和魂社
眞名井稲荷神社
末社——春日大明神社・猿田彦神社
銅像——倭宿禰命(主祭神から四代目)
延喜式社格
名神大・月次新嘗・案上之官幣
山陰道一之大社
御由緒
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮眞名井原 に豊受大神をお祭りして来ましたが、その宿縁によって 人皇十代崇神天皇の御代に天照皇大神が大和国笠縫邑からおうつりになり、之を與謝宮(吉佐宮)と申して 豊受大神と一緒にお祭り致しました。その後天照皇大神は十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。それに依って當社は元伊勢と云われております。
両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神 とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社として、又丹後国 の一之宮として朝野の崇敬を集めて来ました。
社殿
社殿の様式は伊勢神宮と同じ唯一神明造で、古式の心御柱や棟持柱があり、特に高欄上の五色(青・黄・ すえたま 赤・白・黒)の座玉は伊勢神宮御正殿と當宮以外には 拝されないもので、神社建築として最古の様式と高い 格式を表しています。
皆さまが観光コースで先ず参拝される社殿は内宮 様式で、千木は内そぎで一番奥の本殿の勝男木は十本であります。
籠宮の名称起源と常世信仰
當宮の古伝承で、別名を彦火火出見命とも云われた御祭神彦火明命が、竹で編んだ籠船に乗って、海の彼方の海神の宮(これを龍宮とか、常世とも呼ぶ)に行かれたとの故事で、社名を籠宮と云うと伝えられています。因みに籠は、日本の古代音では「コ」と発音されました。
當宮の東方海上二〇粁余に、彦火明命がお后の市杵嶋姫命と最初に天降ったと伝えられる冠島がありますが、この島の事を国宝海部氏系図では、一名を常世島、又は息津島とも云うと出ています。
當宮(古稱吉佐宮)に祭った天照大神を、後に倭姫命が伊勢にお遷しした時、御神霊が、この地は常世の重浪寄する美し国であると教えられた事が、書紀に出ています。
海部族が日本人の原郷としての思慕を秘めて持ち 伝えた常世の信仰が、天照大神と切っても切れない関係にある事が偲ばれます。
天橋立の起源と神秘
京都府の北部、日本海に面した宮津湾の西端を小さく区切る 阿蘇海の波静かな水面に、松の緑の香ぐわしく神秘なたたづまいを見せて真一文字にぽっかり浮かぶ特別名勝天橋立は、その昔は 当神社の境内であり、又参道で ありました。
その天橋立は、地形的にははるか昔に河川や内湾の土砂の流れを外海の激しい潮流が堰きとめてできた砂嘴(さし)であると云われます。紺青の海に青青と緑の生い茂る一文字の松原はまさに造化の妙でありましょう。
さて伝承に依りますと神代の昔、天にあった男神イザナギノ大神が地上の籠宮の磐座(社殿建築以前の太古の祭場)に祭られていた女神イザナミノ大神のもとに 通うため、天から大きな長い梯子を地上に立てて通われたと云わ れます。すると一夜梯子が倒れてしまいそれが天橋立となったと伝えられています。これは人間の心が純朴で素直であった古代には、 神と人、天と地上とは互いに往き来でき、天橋立は神と人、男と女とを結ぶ愛の懸け橋と信じられていたのです。
千古のたたずまいを見せる奥宮
眞名井神社
古代丹波の最高神である豊受大神(天御中主神又は國常立尊とも云う)を大氏神として戴いて当地方に天降られた天照國照彦火明命は、大神様をお祭りするのにふさわしい神聖なところとして、常世の波の寄せる天橋立のほとりのこの地をお選びになりました。こうして造化の名勝天橋立の北端眞名井原に御鎮座、第十代崇神天皇の時に天照大神の御霊代が當宮にお遷りになり、吉佐宮(よさのみや)と申して豊受大神と御一緒に四年間お祭りされました。元伊勢の御由緒の起こりです。奥宮は今、神代が現代に生きている聖地として、心ある信仰者の熱い祈りが日々捧げられています。
天の眞名井の御神水
豊受大神をお祭りするのにこの地が選ば れた理由の一つは、眞名井の水という御神水が湧き出ていたからです。これは主祭神(海部氏始祖)から三代目の天村雲命が高天原に参い登って、神々がお使いになる天の眞名井の水を黄金の鉢に入れて持ち下り、それを古代丹波の泉に合せたと云われ、その霊験を 今に伝えているのがこの眞名井の御神水で、豊受大神のお顔は
藤の花で、そのみたまは天の眞名井の水との秘伝があります。このお水は古来「天地根源眞名井の水」と称されて来ました。
(神社パンフレットより抜粋)
ーー御由緒ーー
當社は、古代には吉佐宮と云い、奥宮のある真名井原の霊地に、豊受大神と天照大神を共に祭った、両大神が伊勢にお遷りの後、天孫彦火明命を主祭神として、外に天照大神、豊受大神、海神、天水分神を共に祭り、龍宮と申した。以後、元 伊勢と云われ、又、丹後国の一宮として名高い。神社創立の昔から、海部直(あまべのあたい)が神主として累代奉仕し、今八十二代を数える。
名勝天橋立は、昔は富社の参道として発祥し、又、神域であった。社殿は伊勢神宮と同じ、唯一神明造りであり、特に本殿高欄上の五色の座玉(すえたま)は、神宮と當社のみの高い格式を 表している。
(境内案内図)
|
参拝月日 |
10/24/2008 |