御由緒 |
霧島東神社
宮崎県西諸県郡高原町祓川。旧県社。
伊弉諾尊・伊弉冉尊・天照大神・天忍穗耳尊・瓊々杵尊を祀る。
かつては、東御在所六社権現と称され、別当寺として真言宗錫杖院があった。
当社も性空上人の創建と伝えられていある。
また当社に於ては、当社社家の年中行事として、祓川の神舞という神楽が有名である。
昭和49年、記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択されている。
もとは氏子宅を神楽宿として、旧暦11月16日に行われていたが、現在は、12月の第2土曜日、
公民館を御講屋として、夕刻から夜を徹して、33番の神楽が舞われる。出雲流神楽の
系統とされ、古い能の様式を残すものとみられている。
霧島神宮
社伝によると、当社の創建は、第二九代欽明天皇の御宇という。『続日本後紀』仁明天皇承和四年(837)八月朔の条に、日向国諸県郡の 霧嶋岑神社が官社に預かったと見えている。『三代実録』清和天皇天安二年(858)10月22日条には、日向国霧島神に従四位下が授けられたと記されている。
延喜の制に至り、日向国諸県郡鎮座の神社として小社に列せられた。
鎌倉時代になって、霧島山の大噴火があり、社殿を焼失、その後、社殿を山の東にあたる長尾山に移し、東霧島神社と称した。
文明一六年(1484)、島津忠昌は、この社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座、この社が現在、宮崎県西諸県郡高原町の霧島東神社である。西社は、大隅国姶良郡田ロに建てられこれが、現在の霧島神宮である。
(神社辞典p121より) |