「式内社」香春(かわら)神社                          HOME blog

鎮座地 〒822-1406 福岡県田川郡香春町大字香春733   
電話  0947-32-2868 
旧社格等  県社
式内社 豊前國田川郡 辛國息長大姫大目命神社
式内社 豊前國田川郡 忍骨命神社
式内社 豊前國田川郡 豊比命神社  
御祭神 ・辛國息長大姫大目命 カラクニオキナガオオヒメオオメノミコト
・忍骨命 オシホネノミコト
・豐比賣命 トヨヒメノミコト
御由緒 一、祭神及創立
第一座~辛国息長大姫大目命 
第二座~忍骨命 
第三座~豊比売命 
 当神社は前記三柱の神を奉斎せる宮祠にして、遠く崇神天皇の御宇に創立せられ、各神霊を香春岳上頂三ケ所に奉祀せしが、元明天皇の和銅二年に、一之岳の南麓に一社を築き、三神を合祀し香春宮と尊称せらる。
 延喜式神名帳に在る、豊前一の宮六座の内の三座なり。

二、祭神の御身分
 第一座辛国息長大姫大目命は神代に唐土の経営に渡らせ給比、崇神天皇の御代に帰座せられ、豊前国鷹羽郡鹿原郷の第一の岳に鎮まり給ひ、第二座忍骨命は、天津日大御神の御子にて、其の荒魂は第二の岳に現示せらる。第三座豊比売命は、神武天皇の外祖母、住吉大明神の御母にして、第三の岳に鎮まり給ふ、各々三神三峰に鎭座し、香春三所大明神と称し崇め奉りしなり。

三、御神徳
 本神社御祭神の御神徳は、続日本後紀に記述せる、太宰府言上に明かにして、皇室、国司、郡司、百姓の崇敬、宇佐神宮と相並びて、偉大なりしを觀れば、御神徳の鴻大なる、茲に人為を以て云為すべきに非ず。

四、神階
 仁明天皇承和十年三月三日辛国息長大姫大目命、忍骨命を共に、正一位に叙し賜ふと神位宣解にあり。土御門天皇建仁元年豊比売命に正二位を奉まつらる。

五、朝廷の御尊崇
 御冷泉天皇、永承年中、宣旨を以て、当神社造営遷宮儀式を勅定せられたりしが、順徳天皇建暦二年八月二十一日宣旨を以て、当神社は、聖朝鎭護無双の霊神なれば、公家に沙汰をなし三十三年毎に一度造営すべきを勅命せらる、後ち後嵯峨天皇寛元元年十月八日宣旨を以て、再び、当社造営は、朝家の経営当国の課役となすものなりと、勅し給ふ。之れにより是を見れば、当神社は、歴代皇室の御尊崇の厚かりしは、聊かも疑ふ可からざる事實なりとす。

六、武家国司の尊崇
 前述の後嵯峨天皇寛元元年十月の御宣旨と共に、關東御教書を下して、当社は垂跡年舊く、霊験日に新たなり。恒例不退の禮奠、皆是れ聖朝安穏の懇祈なり、若し、上代の嘉跡に背き、造営を致さざるは宣慮恐れ有云々。其後弘長二年四月十八日關東御下知あり、重ねて文永六年三月二十三日關東御下知を以て、当神社の御造営の儀に就いて沙汰せられたり、尚、当国国司は、毎年春冬二季の祭祀には、必ず国司代を参向せしめ、神事に随従し傳供を備ふ、其の崇敬宇佐神宮と共に、外に其の例なかりき。

◎明治四年九月郷社に列せられ、同時に香春神社と改称し、同六年七月十五日縣社に列せられ今日に至る。
以上
(平成祭データ)

注:和銅2年(709年)
参拝月日  04/09/2005


一の鳥居

香春岳一ノ岳の
麓に鎮座

参道の鳥居

参道両脇には
寄進者の列

手水舎から
廻廊付拝殿

拝殿

本殿

山王石
昭和14年6月30日
山頂から落石

境内社

境内社

境内社

眼下に
日本セメント香春工場

今は社名変更?