御由緒 |
神功皇后神社(じんぐうこうごうじんじゃ) 〔通称じんぐうこうごうしゃ〕
祭神 (主祭神)息長帯姫命 足仲彦尊 誉田別命 大鷦鷯命 住吉仲皇子 (配祀神)菅原大神
由緒沿革
室町時代の応永三十二年(1425)、豊浦郷(現下関市)忌宮神社より勧請。永享二年(1430)、源義秀が社領を寄進する。
宝徳二年(1450)、天文十一年(1542)、安土桃山時代の天正十三年(1585)、修築をする。
当地の地名は、往昔は集村(あつめむら)と称し、転じて厚保(あつ)村となる。神功皇后が三韓出兵の際、この地にて兵を集め、また万一に備えて壕を掘り、堅固な守備施設を設けたという伝承がある。 忌宮より勧請以前に、当地に八幡宮を祀っていたが、皇后の偉徳を仰慕して神功皇后神社と称する。明治六年(1873)郷社に列する。
○イチイガシ(昭和五十三年・県指定文化財)、この樹木は樹齢五〇〇年以上と推定され、当神社創建 の頃からと言われている。根回り8.2メートル、目通り周囲6.55メートルで、樹高は約20メートルである。地上より6.7メートルで第一枝が分岐し、8.3メートルで第二、第三枝に分岐している。
枝張りは東西へ18.5メートル、南北へ21.5メートルに及び、樹勢は旺盛でこの森の主要樹冠を形成している)。
○神功皇后神社の社叢(昭和五十四年・市指定文化財)、この社叢は、神社裏山の森のことで、遠望 すれば附近のアカマツ優占群落とは明瞭に異なる相観を呈する。これは主として高木層が、ゴシイ及びイチイガシなどの典型的な照葉樹林のためである。
高木層には、このほかタブノキ・アカラシ・シリブカガシなども見られる。亜高木層は、シイモチ・ヤブニッケイ・ヤブツバキ・アラカシ・シロバイなどがあり、低木層はシロバイ・ネズミモチ・アオキ・ツバキ・チャノ木・シキミ・シリブカガシ・イズセンリョウ・タブノキ・イヌガシ等がある。
林床の草木層は、テイカカズラ・ベニシダ・センリョウ・ミヤコノコギリシダ・コバノカナワラビ・フモトシダなどがあり、稀にサンヨウアオイも見られる。この社叢の面積は約2800平方メートルで、主なる樹木の樹齢は300~500年と推定される。
(山口縣神社誌より) |