御由緒 |
播磨国一の宮伊和神社御由緒略記
御鎮座地 兵庫県宍粟市一宮町須行名
御祭神
大己貴神(大名持御魂神、大国主神、又、伊和大神とも申し上げる)
配祀
少彦名神 下照姫神
創始
大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、或は医薬の法を定めて、治癒の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。
大神は播磨国に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨国内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終わった「おわ」と仰せられて鎮まりました。ここに於て人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。
その御神徳により、古来、農業・工業・商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。
一説に、成務天皇甲甲歳二月一二日丁卯(一四四)、或は欽明天皇二五年甲申歲(五六四)の創祀とも伝えております。
御社格
延喜の制では名神大社に列し、播磨国の一の宮で、明治六年県社に、同一八年国幣小社に、同四五年国幣中社に列し、戦前までその御社格でありました。
御神階
貞観元年(八五九)従五位勲八等から従四位下に、元慶五年(八八一)正四位下に進み、爾後累進して、正歴二年(九九一) 正一位を極め給うた。
御神封
一、大同元年(八〇六)神封一三戸
一、天慶三年(九四○)平将門征討の御願奉賽として神封五戸増加
奉幣
一、寛仁元年(一〇一七) 幣帛神宝を奉らる
御造営
一、欽明天皇の御代(五六四)伊和恒郷に神託あり、西方の霊地(現在の鶴石上)に神殿を再築
一、建長元年(一二四九)四月炎上、朝廷より御再興
一、明德三年(一三九二)七月赤松上総介儀則再興
一、永禄五年(一五六二) 一二月長水城主宇野越前守村頼再興
一、嘉永五年(一八五二)二月一日炎上、文久二年(一八六二)二月領主小笠原信濃守
本殿を造営、幣殿以下は国の一の宮たるの故を以て播磨国内より金銭木材等を寄進して安政五年 (一八五八)二月落成す
鶴石
本殿の裏にあり。欽明天皇甲申歳、伊和恒郷に「我を祀れ」との御神託があり 一夜のうちに杉・桧が群生して多くの鶴が舞っており、大きな白鶴が二羽石上に北向きに眠って居たのでその所に社殿を造営したという。その石を鶴石といい、社殿が北向きであるのもそのためであるという。
(神社パンフレットより抜粋) |