「式内社」伊太祁曽神社(いたきそ) HOME blog

鎮座地 〒640-0361 和歌山県和歌山市伊太祈曽558 旧紀伊国 名草郡  
電話  073-78-0006
旧社格等  官幣中社 (現別表神社)
 紀伊國一の宮
 式内社 紀伊國名草郡 伊太祁曾神社 名神大 月次相嘗新嘗   
御祭神  ・五十猛命  
御由緒   伊太祁曽神社のご案内
お祀りしている神様
   五十猛命(大屋毘古神とも称する)
   大屋津比売命(左脇殿 向かって右)
   都麻津比売命(右脇殿 向かって左) 
ご鎮座の場所 和歌山市伊太祈曽558番地
ご鎮座の由来と沿革
  当神社のご鎮座についての具体的な年号の初見は「続日本紀」の文武天皇大宝2年(西暦702年)です。
 神代のことはよくわかりませんが、当神社はこの地に静まります以前には、日前神宮・国懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかがすじんぐう)通称日前宮にちぜんぐう)の社地にお祀りされていたようです。
  日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年(西暦紀元前14)と伝えられていますので、そのころ今の秋月(日前宮鎮座地)より、この山東(現伊太祈曽)に遷座せられたようです。
 しかしその地は現在の社殿のある場所ではなく、南東に500mほど離れた「亥の森」という所でした。
  今も田んぼの中にこんもりした森が残っており、いかにも神奈備の様相を呈しています。毎年旧暦十月初亥日に「亥の森祭」が行われています。
 延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、明神大・月次・新嘗・相嘗に預かると記載されており、平安期には朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。
  紀伊国(木の国)の一ノ宮として朝野の崇敬を受け、明治18年には国幣中社に列格し、大正7年には官幣中社に昇格しています。
 昭和9年の台風により社殿が甚だしく損壊しましたが、畏くも御内帑金(ごないどきん)のご下賜により内務省直轄工事で復興に着手し、昭和12年3月に竣工しました。
  以後、屋根の葺替工事、常磐殿の改修、ときわ山造園、神池改修等の境内整備を経て今日の神社があります。

樹木の神・緑化の神としてのご神徳(木の神)
  ご 祭神の五十猛命は素盞鳴尊の御子神様で、日本書紀卷一 (神代上)によれば、父神に従って高天原から大八洲国(日本)に天降られる時、多くの樹木の種を持ってこられました。
 最 初に新羅国(韓国)に行かれましたが、この国には植えないで、 大八洲国(日本)に持ち帰り、筑紫(福岡県)から日本全土に木の種を播き植林されました。そのおかげで日本の国は緑の豊かな山々を擁し、
 空青く水清き森林の育成がなされました。
  和歌山県は、木の神様(五十猛命)がお鎮まりの国というので「木の国」と呼ばれていましたが、奈良時代に国の名前は二文字にして雅字を充てるという勅令が出されて「紀伊国」 になりました。
 伊太祁曽神社が紀伊国(紀州)の祖神といわれ る所以です。
  ・天なるや八十の木種を八十国にまきほどこしし神ぞこの神
  ・山々の木々の栄えを本の国の栄えと守る伊太祁曽の神
 このようなご神徳の故に木材業や山林業に拘わる方々の崇敬がきわめて篤く、材木の主な集産地にはご分霊をお祀りした「伊太祁曽神社」が祀られています。
  四月(第一日曜日)の にぎ 木祭りは全国からの崇敬者で賑わいます。

厄よけ・病難救済のご神徳(いのち神)
  大国主神が八上比売をめぐって八十神に命を狙われたときに、母神の刺国若比売が「このままではあなたは八十神に殺 されてしまいます。木の国(紀伊国)の大屋毘古神(五十猛命) のところへ逃げなさい」と急がせます。
 大国主神は八十神に追われ矢を射かけられますが、大屋毘古神の助言により、木の俣をくぐりうまく逃れて助かります。(古事記神代卷上)
  大屋毘古神が大国主神の命を八十神から救うという神話か ら災難よけの信仰が起こり、伊太祁曽神社には厄よけ祈願・ 病気平癒祈願等に多くの参拝者がお越しになります。
 特に一月十五日の卯杖祭は厄よけの祭典であり、厄年の方が多く厄よけ祈願の参拝をされます。

大漁・航海安全のご神徳
  素盞鳴尊は「韓郷之嶋(中国大陸)には金銀の財宝があるが、 吾児所御国(日本)に浮宝(船)がなければ運ぶことができない ひげ ので良くない」と言われ、鬚髯を抜くと杉になり、胸毛を抜くと檜となり、
 尻毛は柀(まきのき)となり、眉毛は櫲樟(くす)となりました。
  そして「 杉と櫲樟は浮宝(船)の材に、檜は社殿を造る材に、柀 は蒼生の奥津棄戸(棺桶)に利用しなさい」と言われました。
 素盞鳴尊の御子神の五十猛命とその妹神の大屋津比売命・ 都麻津比売命の三柱の神様は、全国に木の種を播きほどこして紀伊国にお鎮まりになりました。と日本書紀巻第一(神代 上)に書かれています。
  当時の交通手段は、陸上は徒歩、海上は船によるものでし た。大量輸送や食物の確保(漁業)のために船は大切にされ、 その大切な船は木(杉や櫲樟)で造られ「浮宝」と呼ばれまし た。
 海に拘わる人たちは船の守り神として木の神様を崇め、 航海の安全も祈るようになりました。今も大阪湾から紀伊水道の沿岸の漁師の方々の信仰が篤いのはそのためです
  海上交通の手段である船の航海安全のご神徳の高い五十猛命は、自動車が 普及すると陸上交通の神としても崇められ、今日では、多く の方が車の交通安全を祈願されます。
    (神社パンフレット 「紀伊国祖神(木の神、いのち神、浮宝の神)伊太祁木曽神社」 より)

  紀伊国一之宮 伊太祁曽神社のご由

       妹神 大屋津比売命
 ご祭神 五十猛命(須佐男命の御子)
       妹神 都麻津比売命

 五十猛命は、木の神様であり、国土緑化の神様でもあり ます・二柱の妹神と共に全国の山々に木を植えて 青山となされた御神徳は高く、紀州(木の国)の祖神として柰められています。
また、父神須佐男今と共に浮宝(浮船)を造り住民 に漁の業を教えたことから漁業関係者の信仰殊に篤く、航海・交通安全を司る神様でもあり、さらに 大国主命が八十神に今を狙われた時、当社へ身を寄 せ、木の俣をくくって難を逃れたことから「いのち神」 として災難除・厄除の信仰も起りました。
 当社は、五十猛を祀る全国多数の神社の総社、 紀州一之店として木材業・山林業など木に関係する生業の方々を始め漁師等の尊崇が篤く、厄除・交通安全・病気平癒等の祈願の多い神社であり」す。

 主な祭典
卯杖祭(一月十五日)卯杖・小豆粥・粥占神事,
木祭(四月第一日曜日)木霊感謝祭·植木市
茅輪祭(七月三十・三十一日)わくぐり・夏越の祓
例大祭(十月十五日) 新設感謝の秋祭・神輿渡御
     (「一の鳥居」 由緒掲示板)
参拝月日  08/19/2008

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二の鳥居 本殿