御由緒 |
延喜式内社で、祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、三柱姫大神である。社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。
伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、『古事記』に「武内宿禰大臣沙庭(さにわ)に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、歸神(かむかかり)して・・・」『日本書紀』に「武内宿禰に命せて琴撫(みことひ)かしめ、中臣烏賊津使主を喚(め)して審神者(さには)と為す」とあり、これに神聖、清浄なという意味の「い(斎)」が付いたもので神功皇后に関わる名称ともされる。
当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。
現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。
松山市
松山市教育委員会
(参道入口の案内板より) |