御由緒 |
伊野天照皇大神宮由来記
祭神 天照大神 手力雄神 萬幡千々姫命
(合祀)水取宮 五霊大明神 志賀三神 住吉三神
ここに鎮座せらるゝ伊野天照皇大神宮は、その縁起をたづねるに、草蒼は極めて遠く日本書紀によると神功皇后香椎の宮に御幸臨の砌、仲哀帝の九年三月壬申(紀元二〇〇年)皇后小山田邑の斎宮に入り自ら神主となり天照大神(撞賢木嚴御魂)の霊をお祭りになったと記されてある。
降って、陽成帝の元慶元年十二月十五日辛巳(紀元八七七年)筑前天照神に授位のことが三代実録に見えている。
往古この宮は、字南古宮大神宮として祭られてあったが、旧記によれば武将の信仰厚く、北条時宗、菊地武重、織田信長、立花道雪、小早川隆景等は各難局に際して奉幣し、或は社領を奉納するなど敬意を表したと云う。
次で、慶長年間(紀元一六〇一年)黒田氏福岡に入封後、代々藩主の崇敬厚く、二代藩主忠之は神主、工匠を伊勢に派遣して伊勢神宮の構法を学ばせその秘法を授かった。斯くて伊勢の例にならい二十年毎に式年遷宮を行うことゝなった。
その神幸には筑前一円の大庄屋、庄屋が参列して一国を挙げて盛大無比の大絵巻が繰り展べられたと云う。
後に六代藩主継高の時天和三年(紀元一六八三年)此の社地に社殿を移築して益々祭祀を手厚くし、その五穀成就祈祷札の如きは、藩内各村々に行き渡り広く庶民に敬仰されたことは古記録に詳らかである。
例祭 四月二十日二十一日二十二日(日曜日を中心に)
(境内由緒掲示板より)註:紀元=西暦
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