御由緒 |
国指定重要文化財 楼門・拝殿・本殿 明治四〇年五月二七日指定
この社の創建年代は不明であるが、鎌倉時代に大内氏一九代弘成の娘に今八幡殿と呼ばれた人名があり、山口に大内氏が移る以前からあったことがわかる。文亀三年(一五〇三)大内氏三〇代義興が下宇野令の朝倉八幡宮を今八幡宮の地に移し、二社を合併して造建したのが現在の社殿であると伝えられている。
楼門は左右に切妻造りの翼楼を付し、正面に一間の向拝がある。拝殿は桁行三間、梁間一間の切妻造りで、その後方に本殿がある。社殿は楼門・拝殿・本殿が一直線に配置されている。
このように楼門を拝殿に兼ねた造り方は山口地方独特の形式であって、山口近郷には同形式のものが多くみられる。本殿外陣の海老虹梁や楼門柱下の礎盤など、禅宗様の建築様式が見られる。
なお、当社には大内義隆が寄進した銅製の鰐口があり、国の重要文化財に指定されている。
(境内案内板 より)
清和天皇貞観元年(八五九)豊前国宇佐八幡宮より神霊を分ち本郡下宇野令朝倉に祀る。
文亀三年(一五〇三)大内義興卿が今の地に移転、もとからこの地に有った宇治皇子を祀れる宮を合祀し今八幡宮と号す。
明治六年九月郷社に列せらる。
社殿は合祀移転当時の造営と伝えられ、本殿・拝殿・楼門は共に国の重要文化財に指定されている。
(平成祭データ) |