「式内社」
聖母宮
(しょうもぐう)
鎮座地
〒811-5501 長崎県壱岐市勝本町勝本浦554 旧壱岐国 壱岐郡
電話
0920-42-0914
旧社格等
式内社 壹岐嶋壹岐郡 中津神社 名神大
式内社 壹岐嶋壹岐郡 手長比賣神社
御祭神
・
氣長足姫尊
(配祀)
・足仲彦尊 譽田別尊 上筒男尊 中筒男尊 底筒男尊 天照皇大神
御由緒
聖母宮
旧号 香椎大明神 聖母大菩薩
鎮座地 壱岐郡勝本町勝本浦正村
祭神 息長足姫尊(神功皇后)
足仲彦尊(仲哀天皇)
誉田別尊(応神天皇)
住吉大神
配祀 天照大神
由緒
『壱岐名勝図誌』によると、仲哀天皇の九年神功皇后は肥前唐津の神集島で三韓出兵の勝利を祈願 し、土器崎より壱岐に向けて3,270艘の軍船を出発させた。
この時、船が進むのにつごうの良い東風が吹きはじめた土器崎の地を風本と名づけ東風が吹きゆく壱岐の方向を風早と名づけた。
壱岐すなわち風早の島についた皇后は風まちをして対馬の鰐津に向けて出帆した地を風本と名づけ、三韓からの帰りに再び立ち寄られ出兵の勝利を祝い勝本を改められたという。
皇后は、出兵の往来にさいし行宮を勝本に建てられたが、御殿はその後放置されてしまった。
しかし毎夜海中から光る物があがってくるという出来事が続いたので里人は鏡を御殿に納めて神功皇后を神としてまつったのがこの神社であると伝う。
また、一説には異敵の首101,500を持ち帰った皇后は、風本の浜に穴に掘って埋められ、九町八反の築地を一夜で築きその上に宝殿をつくり、聖母の社を建てられたとある。
文化財
昭和四十七年に長崎県指定有形文化財とされた茶壺が有名 壺の銅部に『進入、日本いきしま、風本宮、聖母大菩薩、御神物ちやいれ、是ヲ心サス、喜斉、百良内村生、宗靏沙門(花押)天正廿年敬白』の銘がある。
その他に数多くの文化財が伝えられているが神社の西門と南門は豊臣秀吉の朝鮮出兵の折りに、加藤清正と鍋島直茂によって造営寄進されたと伝えている。
この西門(正門)の前方には、神功皇后の御乗馬の足跡がのこるという馬蹄石がある。
(境内案内板より)
参拝月日
11/11/2006
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一の鳥居 社殿全景