一宮(いちのみや)神社                                 HOME blog

鎮座地 〒806-0030 福岡県北九州市八幡西区山寺町12-36    
電話  093-641-2865
御祭神 ・神倭伊波禮毘古命
・建御名方命
・大歳神

(配祀)
・天忍穗耳命
・仲哀天皇
・神功皇后
・應神天皇
御由緒 1元王子神社 
 古事記によれば神武天皇が豊前の宇佐から筑前の岡田の宮においでになり一年の間この所にとどまられ軍務を見られ所謂御宮居の地であります。天皇御親ら祓いをされ地主の神をまつられたという礫をしきつめた社祠の跡が今も残って居ります。この形式の遺跡は全国でも極めて数少ないもので、考古学的にも貴重な資料であり本社が如何に古代からの社であったかを物語るものであります。
 昔は稀に見る大社でありましたが残念なことには、大友氏の兵火により焼失しました。規模の宏壯であったことは数々の文献や遺跡によって充分窺い知ることが出来ます。神領地は熊手は勿論、遠く穴生引野にまで及んでいました。
 又神功皇后が洞海を過ぎられた時、三韓降伏を此の神社に祈られ、皇后崎から船出されたこともよく知られています。宝物として天慶年間(今から約千年前)に小野朝臣好古の駅鈴が今も伝えられています。

2元大歳神社
 三代実録や続風土記に表れている古く、且つ由緒の深い壮大な社でありましたが兵火に会ったり没収のことなどのため衰微していました。もともと熊手字港(現日本アルミ敷地内)にあって、新地のお宮として、又農業ゆかりの深い五穀の神として厚く祭られました。たまたま大正十三年一月二十一日に三菱の土地買収のため刑部田(現熊西公民館南側)に遷座され、又昭和十六年八月二日に区画整理のため、今の一宮神社の北隣の地に遷座されました。

3元諏訪神社
 花尾城主麻生氏が、信州の諏訪神社を刑部田(現御手洗公園敷地)に分祀し貞元のお宮として厚く祭られました。
殊に祭礼は非常に盛大であつたことが古文書に記されています。
昭和十五年八月八日区画整理のため遷座の折に王子神社に合祀されました。

4合祀について 
 諏訪神社は前記の理由で王子神社に合祀されましたが、ついで昭和二十五年六月二十八日に王子神社大歳神社の氏子の総意で両社を合祀して社号を一宮神社と称することになりました。
 一宮とは幾多の文献によると、もと王子神社が所謂一宮として郷土の尊祟の中心であり一宮と称されていたことによるものです。
以上
 (平成祭りデータ)
参拝月日  07/15/2005

参道入り口の鳥居

参道

参道の鳥居
神額は「王子宮」
天保15年(
1844年)

参道の鳥居
神額は「王子神社」
明治33年(
1900年)

境内全景

拝殿

本殿

古代祭場跡
磐境(いわさか)

境内社
恵比須神社
疫神社