揖宿神社(いぶすき) HOME blog

鎮座地 〒891-0304 鹿児島県指宿市東方宮733 旧薩摩国 揖宿郡  
電話  0993-22-4052
旧社格等  郷社
御祭神  ・大日靈貴命
(配祀)
 ・天之忍穗耳命 ・天之穗日命 ・天津日子根命 ・活津日子根命 ・熊野久須毘命 ・多紀理毘賣命
 ・狹依日賣命 ・多岐津比賣命
(合祀)
 ・健御名方命
御由緒 御祭神
 本殿:大日霎貴命(おおひるめむちのみこと)(天照大御神の御別名)
 相殿:天之忍穂耳命、天之穂日命、天津日子根命、活津日子根命
    熊野久須毘命、多紀理毘売命、狭依日売命、多岐津比売命
 摂社:
  東之宮 彦火火出見命 西之宮 人王第38代天命開別命(天智天皇)
  二龍宮 和田都美命  聖宮  塩土翁命
  荒仁宮 大己貴命   懐殿宮 昭美日月命
  姉姫宮 豊玉姫命   天井宮 玉依姫宮
  山之宮 大山積命(当社社家であった賀茂懸主堀内氏、指宿氏の祖神)
  随神門 経津主命、武甕槌命
ご由緒
 社記によれば、天智天皇が薩摩地方御臨幸の折り、当地の大杜に御滞興あらされた由緒の地として、慶雲3年丙午(西暦706年)2月10日、堀内氏、指宿氏の遠祖が勅を奉じて、天皇の神霊、遺器を奉斎して葛城宮がご創建されましたが、168年後の貞観16年甲午(西暦874年)7月、長主山(現在の開聞岳)の大噴火があり、開聞九杜大明神(現在の枚聞神社)の葛城宮にご避難されたいとのご神託により同年11月遷宮され、当杜を[開聞新宮九杜大明神]と称され、爾来指宿郷の総氏神として地方開拓の祖神、交通航海安全、諸業繁栄の守護神として崇敬され、明治維新に際し「揖宿神社」と改称され現在に至っております。
 特に、薩摩藩代々藩主の尊崇殊の外篤く、32度に及ぶ社殿の改修等全て藩費をもって施行されております。

拝殿
 本殿・弊殿・舞殿・拝殿・勅使殿が連結して 一体の建造物となり、舞殿と勅使殿の格天井には126枚と64枚の荘厳な花木絵が描かれ参拝者の心を和ませてくれます。
本殿
 現社殿は、弘化4年丁末(西暦1847年)12月薩摩藩第27代藩主島津齋興公の思し召しにより改築されたもので、入母屋造りの本殿を始め、勅使殿、摂社に至るまで、全て楠材が使用されております。
指宿市指定文化財
手水鉢
 「奉寄進 調所笑左衛門廣郷、弘化4年丁末11月10日」の文字彫刻があり、現社殿改築の際、当時の薩摩藩家老兼側詰であった、調所笑左衛門廣郷翁の御寄進下されしものです。
鳥居
往時は木造の鳥居でしたが、社殿御造営の翌年、即ち嘉永元年(西暦1848年)に藩主島津斎興公の命により、肥後の名石工岩永三五郎翁の作で石材は御影石で大隅半島大根占より舟で搬送したが、陸上げの際、鳥居最上段の笠木を海中に落とし、どうしても陸上げできず、再度大根占より搬送し建立された。鳥居建立と社殿御造営の費用は同額を要せりと記録にあります。
大楠
 境内に社殿を囲むように樹齢約1000年の大楠がうっそうと生い茂り、森厳さは御由緒にふさわしく、一カ所に数本の大木が群生した状態は本県でも非常に珍しいものであると言われております。
 鹿児島県天然記念物指定
  (神社パンフレットより)
参拝月日  11/28/2008



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境内入口の鳥居 勅使殿