御由緒 |
北斗宮由緒
北斗宮社有古文書 及 嘉穂郡史嘉穂町史に依る
祭神
天之御中主神 天地創造の中心の神
伊邪那岐神 天地創造の陽の神
伊邪那美神 天地創造の陰の神
祭日
一月一日 元旦祭
四月二十一日二十二日 春季神幸大祭
七月三十日 大祓(茅の輪くぐり)
十月二十一日 秋季大祭
由緒
人皇第三十八代天智天皇の御代(紀元一三三一)若木連と言う人、北斗星の信仰篤く益富山に北斗大明神として勧請し、延命長寿縁結びの神として尊崇を集めたのが北斗宮の起源となる。
天正六年龍造寺隆信の兵乱によって神殿が焼失するも御神体は樹齢二千数百年の大楠の下に奉安して安泰、以后大楠神社を祀る。
大楠神社は武運長久事業繁栄の神として尊崇さる。(元禄十年筑前貝原好吉の古文書による)
天正八年三月秋月藩主秋月種実公現社殿を建立す。
慶長年間黒田長政公筑前藩主となり当神を筑前十五神の中、一の宮と定め尚歴代の藩主の尊崇篤く年々数々の寄進を受く。
明治四年政令により下益神社の社名をもって祭祀さる。
昭和八年県社に昇格す。
昭和四十二年十二月四日、神社庁並に福岡県知事の認承により北斗宮と称す。
昭和五十一年五月壱千参百年祭を実施、社殿修復す。
昭和六十三年十月神殿大改修社務所新築今日に至る。
境内祭祀神社
大楠神社、恵比須神社、玉姫稲荷神社、松尾神社
(社頭由緒石碑より)
北斗宮の大樟
嘉穂町指定天然記念物(昭和55年3月8日指定)
「胸高周囲5m80根回り9m40枝張り東へ14m西へ13m南へ9m北へ13m50高さ約45m樹枝38.86㎡ 当境内に大樟神社として祭祀される神木は縄文中期時代の生木といわれ寛政年間火災となり大樟も年を追うごとに朽ち落ち今はない。その大樟の根づきの樟といわれている。」
嘉穂町教育委員会
(案内板より) |