御由緒 |
日若神社
祭神 伊邪那岐命 須佐之雄命 闇雄神
例祭 十月十三日
創立年月日 正応元年(西暦一二八七年)
由緒
神功皇后御征討の帰途、是の所を通られて霊泉の立派なることに感激されて、皇子と共に息災延命を祈願し、禊されし霊場である。又付近の神池神森と共に是の所は誠に「ただならぬところ」であると申されて、此の地と多田山と稱し現在の多田の名稱の起源と云われて居る。
爾来、筑前豊前両国民崇敬の中心となり、藩政時代は藩主に於ても特別の取り扱いを以て見せ物興行を免許し、余力を以て修繕維持の資に充てしめられていた。
又、祇園神社を此社のかたはらに勧請し祀る事のもとは明暦二年(一六五九年)多田村及近邑に疾疫流行し、人民なやみ苦しめり、其年十月祠官有光時安 十七日間身を浄め、神道を以て妙見大明神に其の事を伺い奉るに、祇園三社を勧請し祈祷をなすべしとの霊告によりて、那珂郡博多の津祇園の神を祀り、病邪たちどころに退き邑村の悦ぶところとなる。
右の由緒は、天明八年(一七八八年)加藤一純の古文書に依る
平成四年 七月吉日
(社頭由緒掲示板より、原文のまま)
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