日田神社(ひた)   HOME  blog

鎮座地 〒877-0004 大分県日田市城町二丁目(大字北豆田530番地)旧豊後国 日田郡  
電話  
旧社格等  村社  
御祭神  ・日田鬼藏太夫永季
御由緒   日田神社の縁起
 当社は、日田市大字北豆田五百三十番地に鎭座し、日田鬼蔵太夫永弘、日田鬼蔵太夫永興、日田鬼蔵大夫永季霊を主祭神とする。
 日田神社は、古くは日田明神と称し、仁和年中(八八五~八八八)に初代日田郡司鬼蔵太夫永弘公を祀られたのが始で、後三条天皇延久年間(一〇六九~一〇七三)に第八代の孫鬼蔵太夫永興公を合祀、後に永興公の子鬼蔵太夫大蔵永季公を合祀した。
 大蔵氏の祖鬼蔵太夫永弘公は、天武天皇の息子高市王の御孫豊後介中井王の子である。祖父鈴鹿王大蔵卿たりし為め姓を大蔵とした。文徳天皇の仁寿元年日田郡司の職に補せられ、仁寿二年(八五一)府を有田郷に鷹城を築づき居城した。公は殊に敬神崇祖の念厚く三芳村宮太夫に若八幡、或いは大原八幡宮を求来里の元宮に、或いは石体神を河内村戸山に奉祀するなど、敬神崇祖の範を無れ、又民を愛撫して仁政を施した。庶民皆その泰平を頌歌した。没後日田明神と称して尊崇した。
 第八代の孫鬼蔵太夫永興公特に聡明にして仁政を行ったが未だ若年にして卒し、没後郷民之を日田明神として合祀す。
 第九代永季公は、永興公の子であり容貎魁偉、古今無双、資性純直にして温良恭倹殊に敬神愛民の念厚く、五郷に五社の若八幡を、四荘に老松神を奉祀するなど衆望自ら一身に集まりし人物であり、後三条天皇延久三年(一〇七一)、歳十六才の時、相撲の節会に召出され怪力士、出雲の小冠者に勝ち、碩学大江匡房卿の勅額「大波羅野御屋新呂」の恩賞を拝受、之を大原八幡宮に奉納した。其の後相撲の節会に召される事数十回、無敗を誇り、勇名天下に轟き渡った。節会の途次風気に冒され、大鶴の鶴河内にて没去した。時に歳四十九才、郡民徳を慕いて之を日田明神祠に合祀した。永季公は、世に相撲の神、力の神としても尊崇されている。
 明治六年村社に列した。
 (平成祭データ)

  日田神社
 この日田神社は相撲の神様で日田の郡司大蔵家鬼太夫永季およびその祖永弘、永興の三柱を祭ってあります。
永季は相撲が強く日田殿(ひたどん)と呼ばれ後三条天皇の天覧相撲で出雲の小冠者を倒して優勝したといわれ天覧相撲には十五回出場し、相撲の神様としてあがめられています。
日本相撲協会も日田の巡業のときは必ず代表が参拝し相撲道の発展を祈願します。
   日田市
 (社前案内板より)
参拝月日  06/07/2008

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境内入口 拝殿