鎮座地 |
〒579-8033 大阪府東大阪市出雲井町7-16 旧河内国 茨田郡 |
電話 |
072-981-4177 |
旧社格等 |
宮幣大社(現別表神社)
河内國一の宮
式内社 河内國河内郡 枚岡神社四座 並名神大 月次相嘗新嘗 |
御祭神 |
・天兒屋根大神 ・比賣大神
(配祀) ・齋主大神 ・武甕槌大神 |
御由緒 |
御祭神
第一殿 天兒屋根命(あめのこやねのみこと)
第二殿 比賣御神 (ひめみかみ)
第三殿 武甕槌命(たけみかづちのみこと)
第四殿 齋主命(いわいぬしのみこと)(經津主命)ふつぬしのみこと
由 緒
奈良から生駒山の暗峠を越えて真直ぐに西へ降った古い街道、山麓近くに朱の春日造の社殿が西向きに鎮座し、神社の主神は天兒屋根命即ち我国の祭祀の始めを掌り 給い、中臣・藤原氏の祖神であり、春日大社の第三殿(天兒屋根命)と第四殿(比賣御神)の神は、神護景雲年間(西暦七六七~七七〇)に当社から春日神社へ分祀せられた為、当社を元春日と呼び習わして来た。因に、当社の第三殿・第四殿の二神は、宝亀九年(七七八)春日大社から迎えて配祀せられた。
神階は次第に昇り、貞観元年(八五九)には正一位に叙せられ、『延喜式』には名神大社に列した。古くから中臣氏の一族 平岡連の斎く社であったが、平安末期から水走家が祀職となり、河内一宮として朝野から篤く祀られた。
天喜四年(一〇五六)・宝治元年(一二四七)・天正二年(一五七四)と度々火災に遭い、慶長七年(一六〇二)豊臣秀頼が社殿を修復した。現社殿は文政九年(一八二六)氏子の総力を挙げての修造である。社領は百石を有した。
明治四年官幣大社に列し、神宮寺等が廃された。本社四殿の他に、本殿背後の神津嶽に摂社神津嶽本宮、本殿南に摂社若宮神杜更に 南に末社天神地祇社が祀られ、その南部一帯は「枚岡神社梅林」として春は観梅の人達で賑わう。
(神社パンフレット「河内国一の宮 枚岡神社略記」より)
枚岡神社
大阪府東大阪市出雲町。旧官幣大社(現、別表神社)。
社伝によると神武天皇が大和国に肇国の際天種子命に命じ、その祖神天児屋根命を神津嶽に祀って国の言向けを祈ったのに始まるという。
天児屋根命は『記紀』などに見える宮廷の祭祀を務める神で、中臣氏後の藤原氏の祖神である。中臣の支族平岡連は河内国に栄え、祖神を祀ったのが本社であろう。
現在 の鎮座地は生駒連山神津嶽の西の麓である。 第一殿に天児屋根命、第二殿に比売神、第三殿に武甕槌命、第四殿に斎主命を祀る。
奈良の都に春日大社が創祀される時、本社から第一・第二殿の神を迎えて奉斎している。世に元春日と呼ばれる理由である。春日大社の成立後第三・第四殿の鹿島、香取両神宮の祭神を配祀した。『延喜式神名帳』 はこの四座の神を列記して名神大社に列し ている。皇室の外戚家の祖神として官祭に預かり、『続日本後紀』『三代実録』など国 史の記載がある。
中世河内国一の宮を称し、 国中の信仰を集めた。春日造の本殿四宇が並び、正面に祝詞舎、透塀を、その前面に拝殿が独立して建つ。例祭二月一 日、一〇月一五日。春秋二季の祭は氏神祭 の古制を止めたものであろう。現在秋祭は 里祭といい、氏子の町内から十数台の太鼓台が出て社参する。摂社に若宮神社がある。
(東京堂出版 ・神社辞典より)
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参拝月日 |
08/18/2008 |