御由緒 |
姫坂神社由緒 旧社格 式内大社
県社
一、祭神 市杵島姫神(天照大神の御子神)
「姫の宮」と称えて往古より日吉の里、姫の宮の地(現在の南日吉町)に鎮座と伝えられ、今から1080年前醍醐天皇の延喜の制に式内大社(全国で351社)に列格の栄光に浴し皇室より久しく特別の待遇に預り、国司、主護職、領主をはじめ庶民の信仰を集めた。
江戸時代今治藩の祈願所として雨乞祈願のたびごとに藩主の参拝あり、毎年ご蔵米の献納に預った程であったが、故あって6200坪に余る広大にして尊厳な千幾百年の歴史を残す姫の宮の社地から現在の浄地に移転されたのは今から二百数十年前のことである。
続伊豫温故録より 宮脇通赫著
姫坂神社 日吉村にあり 古歌
ひめ坂に立る梢のいろいろに
神のみそぎの錦なるらん
享保八年九月九日 当国松山之住
仙波半幽斎盛全敬白
当神社は古来式内大社として、また日吉郷(旧今治市の全域)の一の宮として斎かれ、交通主護の神、開運の神、安産の神として広く信仰されている。
昭和58年 式年祭に際して建之
(境内案内板より)
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